2009年5月6日水曜日

エースナンバー10番

GWも今日でお仕舞い。どこかに出掛けることなく、テニスをしたり、ブログを書いたりしての5日間でした。今回は久々にサッカーネタ。我が名波さんがTV番組「やべっちFC」のレギュラーに起用されました。初仕事は中村俊輔との新旧日本代表10番対談。同じレフティのパサーながら、10番を背負いたくなかった名波と10番を背負うのが夢だった俊輔。二人の言葉のパス交換は絶妙で、2000年アジア杯での伝説の俊輔→名波のダイレクトシュートを彷彿とさせました(もちろん映像でも流れていましたが)。
もともとは、GKが1番、DFが2-4番、MFが5-8番、FWが9-11番と高校野球と同じようにポジション別の背番号をつけていたのが、センターフォワードの10番が日本ではいつの間にかゲームメーカーのエースナンバーになってしまったようです。ペレやマラドーナの影響も大きいのかもしれません。日本代表の10番のルーツは定かではありませんが、木村和司、ラモス瑠偉が思い浮かびます。そして、名波に。写真はフランスW杯での名波10番のレプリカユニフォームです。当初は10番のイメージではありませんでしたし、サポーターからは「10番つけてるんじゃねぇ」と罵声を浴びせられたこともありました。名波自身認めている通り、プレースタイルは10番のイメージではないし、「好きでつけているんじゃない」という訳でした。でも、2000年のアジア杯レバノン大会での名波は文字通りの10番でした。この大会で優勝した日本代表は当時「史上最強、アジアのレベルを超えた」と言われていましたが、今でも最強の日本代表だったと思います。ウズベキスタン戦での西澤・高原の清水東コンビが決めたWハットトリックは圧巻でした。明神・俊輔・ヒデ・森島といった個性豊かな選手を縦横無尽に操って、ピッチ上の監督として君臨した名波の活躍は文句なしのMVPでしたし、大いなる可能性を感じさせました。それだけに、半月板損傷の怪我で2002年の日韓W杯の代表落ちとなってしまったのは残念でなりません。
日本のもう一人の10番といえば、なでしこの澤穂希。北京での攻守にわたっての活躍は、これこそまさにエース。米国プロリーグに移籍した澤の10番を日テレベレーザは永久欠番にしています。もうひとつ、10番ネタ。名波・俊輔の対談で思い出したんですが、名波、俊輔の間にもう一人偉大な10番がいたということ。中山ゴン、2002年日韓W杯の炎の10番でした。

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