2012年5月6日日曜日

カーネーション

「母の日を 待たず召されし 空は眩く」
母が逝去しました。享年84歳と天寿を全うした生涯でした。しかし、半生は病気との闘いで、天寿を全うできたのは、本人の愚直なまでの生きることへの努力と多くの方々の支えの賜物だったと思っています。最期も、危篤状態に陥ってから、半日頑張り続けました。心臓は、リズムを失いながらも早鐘のような鼓動を繰返し、人工呼吸マスクの中で、喘ぐように必死に酸素を吸い込もうとしている様は痛々しいものがありました。見るに見かねて、父は耳元で「よう頑張った。もう無理せんでいいよ」と繰り返していました。
母は、日本統治下の台湾で生まれ、海軍関係の技術者の娘として、比較的恵まれた少女時代を送っていましたが、敗戦により、全てを失い、着の身着のままで日本に引き揚げてきます。引揚げ直後に一家の大黒柱である父をも失い、家族7人のそれ以降の苦労は想像に難くありません。結婚後もいくつかの病や怪我に悩まされ、決して、平坦な人生ではありませんでした。しかし、そんな苦労が顔に表れない人でした。いつも穏やかな笑顔をたたえ、寡黙ではありましたが、何故か人から慕われる人でした。実直そのもので、最後までやり遂げなければ気が済まない性格でした。最後の最後まで頑張り抜いて、自らの生き方を貫き通した生涯でした。立派な一生であり、親孝行出来なかったことを悔いつつも、母はきっと幸せな生涯だったと振り返りながら、旅立っていったと信じています。
最近、「幸せは『なる』ものではなく、『気づく』もの」という言葉に出会いました。母を偲びつつ、改めてこの言葉を噛みしめています。

0 件のコメント: