2012年5月24日木曜日

オレンジの残像 ‐ アゼルバイジャン戦

FIFAランキング109位のチームとの調整試合。先発は海外組9名の殆どぶっつけ本番状態。海外組はシーズン終了直後のリラックスモード期間。一昔前の代表だったら「サムライブルー空回り。格下相手にスコアレスドロー。W杯最終予選に暗雲」との翌日の新聞見出しを試合前から覚悟せざるを得ないシチュエーションでした。ただ、今回は明らかに違いました。選手の勝利にこだわり、ゴールへの高い執着心が明らかに感じられました。海外組の最大の成長は、この意識改革かもしれません。そして、戦術への高い共通理解と実践。昔は、練習を通じての醸成を目指した「オートマティズム」と呼ばれていたものです。これがごく自然に実現出来るというのは、日本代表というチームの暗黙知が確実に向上し、強さのステージが上がったことを実意味しています。2-0のスコアはややもの足りないものの、最終予選に向けてのいい調整になったと思います。
今回の試合の最大の驚きは、アゼルバイジャン代表監督のベルティ・フォクツ。TVでは元ドイツ代表監督との紹介でしたが、私にとってみると「1974年西ドイツW杯決勝でクライフを抑えきった西ドイツのディフェンダー」です。ベッケンバウアー率いる西ドイツ対クライフ率いるトータルフットボールのオランダとの決勝。オランダが開始2分で西ドイツにボールを触れさせることなくPKを獲得して先制しますが、その後、西ドイツはフォクツをクライフのマンマークにつけ、クライフの動きを完封。ミュラーの逆転弾でオランダを粉砕し、開催国優勝を飾ります。フォクツは、クライフがピッチの外で靴ひもを結び直す間もタッチライン上でマークを続けていました。
当時のオランダ代表は、ポジションが流動的に変化する画期的なシステムを実践し、「トータルフットーボール」「未来のサッカー」と呼ばれていました。その中核にいたのがスーパースター、ヨハン・クライフ。そして、彼が監督を務めて築き上げたのが、FCバルセロナのスペクタクルな攻撃サッカーです。オランダ代表でのクライフのポジションは4-3-3のセンターフォワードでしたが、多くは中盤に位置し、時にはディフェンスラインまで下がり、機を見て最前線に駆け上がるというポジション取りで、結果として、システム的にはゼロ・トップとなっていました。今回の試合の本田の復活で、トップ下は本田か香川かとの議論がマスコミを賑わしそうですが、ゼロ・トップというオプションもあるのではないでしょうか。つまり、岡崎・宮市をウィングに配し、真ん中は香川と本田を縦に並べ、その上下を流動的に入れ替えるというものです。本田と香川にクライフになれというわけです。奇しくも日本代表の練習着(写真)がオレンジ色になりました。クライフやニースケンスのオレンジの残像を、ついついダブらせたくなってしまいます。

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