2013年9月8日日曜日

祝!東京五輪2020

2020年東京に五輪が戻ってきます。今から49年前の1964年、高度成長期の真っ只中とはいえ、まだまだ戦後を引きずり、みんなが等しく貧しい時代でした。カラーテレビが普及し始めていたとはいえ、多くの家庭ではちゃぶ台の前に白黒テレビが鎮座していた時代でした。ちゃぶ台の上では、アルミ鍋からおでんの湯気が立ち上り、親父は、一升瓶から二級酒を湯呑みに注いでは、茹で落花生をツマミに、舌鼓を打っていました。TVでは、東洋の魔女が回転レシーブを繰り返し、チャフラフスカが躍動していました。アベベの哲人のような風貌と円谷の精根尽き果てたゴールをテレビは見事に映し出していました。重量挙げの三宅、体操の小野、遠藤。そして、世界の凄さを思い知らされたジャボチンスキーとヘーシンク。あの時の映像は、今でも脳裏に鮮明に残っています。あのいつまでも色褪せない日々を、子供たちに味あわせてあげられると思うと、2020年五輪招致成功は本当に快挙だと思います。
ただ、喜んでばかりはいられません。これは、復興への道筋を掲げて支持を得た東京の世界へのコミットメントでもあります。世界への約束実現に向けたカウンターは既に動き始めているのです。7年後には、立派に復興を果たした東北を世界の人々に見てもらわなければなりません。また、7月~8月の開催スケジュールを考えると、現在悪化の一途を辿っているヒートアイランド現象にストップをかけることも急務です。そして、まずは、安倍総理が明確に約束した福島第一原発の放射線問題を早急に解決しなければなりません。五輪は、東京という都市のプロジェクトではありますが、日本が国家として明確な目標設定を行う絶好の機会となりました。前回の東京五輪は、世界に追い付き、世界に踏み出す象徴的なイベントでした。7年後の東京五輪は、世界に日本人の「絆」を示し、スポーツを通じての「絆」というオリンピックの本来の意義を思い起こさせる大会となればと思います。

2013年9月1日日曜日

Project 青い秘密 - 岩木山編

岩木山は、青森県最高峰、津軽平野のどこからでも眺めることのできる嫋やかで美しい山です。太宰治は、その姿を「十二単を広げた美女」に例えています。昔から山岳信仰の対象となっており、「お山」と呼ばれて、津軽の人々に崇められている山でもあります。7月7日、その岩木山9合目。昨日までの悪天候が嘘のように晴れわたった青空に向かって、鳳鳴ヒュッテからの岩場の坂道を、登山客が連なるように上っていきます(写真)。鳳鳴ヒュッテ前でカレーを作りながら待つこと1時間。未だ別働隊の姿は見えません。岩木山への登山で最もお手軽なのは、岩木スカイラインを車で8合目まで登り、そこからリフトで更に9合目まで登り、最後の山頂までの登山道を徒歩で約40分程度で登るというものです。さすがにリフトの利用は憚られ、8合目の駐車場から湿度の高い樹林帯を汗にまみれて1時間ほど登って、9合目の鳳鳴ヒュッテまで辿り着きました。カレーを煮込んで、N隊長の率いる百沢ルート(約4時間の行程)アタック隊を待つことにしました。カレーの具は、南三陸の家庭菜園で頂いたばかりの採り立てのジャガイモ、タマネギ、ニンジンです。震災直後、断水で困っていたお宅の水運びをドクターKがボランティアで手伝って以来、手紙でのやり取りをしていた老夫妻を、今回の被災地巡りの途中再訪した際に頂いたものです。ご夫婦のお宅が位置する高台の下では、モアイ像に見守られて南三陸の仮設商店街が復興の第一歩を踏み出していた一方で、周りには住宅跡地の空き地が目立っていました。
さて、待つこと1時間半。カレーが煮詰まり始めた頃、ようやく別働隊が到着しました。途中で雪渓を登らざるを得ない箇所があり、難渋したとのことでした。疲れ切った身体には、南三陸で頂いたキュウリが心地よかったと思います。一緒に頂いた味噌との相性も抜群でしたし、味噌はカレーの隠し味にも使わせて頂きました。「青い秘密」です。
東北の震災地は、2年余を経ても、未だ復興への道筋も見えない状況でしたが、被災地の人々が、いや日本国民全体が、写真のように坂の上に浮かぶひとひらの雲を見据えつつ、厳しい坂道を登り始める日が来ることを切に願っています。

2013年8月31日土曜日

Project 青い秘密 - 何も始まっていない

夏バテ気味で、ブログの更新がすっかり滞ってしまいました。というより、Facebookでポツリポツリと呟いているうちに、ブログでのまとまった文章作りが億劫になってしまったというのが、正直なところかもしれません。気を引き締めて、この夏のプロジェクトの記憶を書き留めておくことにします。
MCN秘湯登山倶楽部で毎年初夏に実施している秘湯を絡めた登山。今年は、青森県の最高峰、1,624m岩木山と百沢温泉の旅です。岩木山は、津軽富士の名前で知られる美しい容貌の山です。 青森、岩木山、百沢音泉、ミチノクコザクラ、津軽富士の頭文字を集めて、プロジェクトコード名は「青い秘密」。青春の思い出や隠れた記憶を辿る旅にしたいとの思いもありました。
業務多忙のN隊長は同行出来なかったものの、シェフパTと救護隊員ドクターKとともに、青森に向かう途中、震災被災地をレンタカーで巡りました。あれから2年半、力強い復興の姿を確かめておきたかったのです。しかし、そこにあったのは・・・。
まず向かったのは、志津川町防災対策庁舎(写真)。今でも慰霊の献花が絶えません。鉄筋の骨組みのみ残した庁舎跡の周りに広がるのは、一面の野原。瓦礫の山に夏草が生い茂り、気まぐれな初夏の雨が降り注いでいるだけでした。被災地巡りのもう一つの目的地は、陸前高田の奇跡の一本松モニュメント。枝葉の一つ分をTeam MC78の仲間で募金させて頂きました。復興の象徴にとの想いを込めてのものでしたが、一本松の周辺の陸前高田一帯は2年経ってようやく瓦礫の撤去が終わった段階。復興の2文字とは程遠い状況でした。車のナビが、かつてそこにあった街並みを虚しく映し出します。それが、未来予想図であると信じたいのですが、その希望さえ打ち砕いてしまうような惨状でした。決して風化させてはいけないものがそこにありました。現実への直視が薄れていることをひしひしと感じる被災地巡りでした。当時は、折しも参院選を前にした時期でした。選挙の争点は、憲法改正論議とかアベノミクス論議。復興への取組みを第一に論じる候補者はいませんでした。そして、現在の政局は、消費税論議に。復興から視点がどんどん離れていっています。
今、密かに期待しているのは、NHK朝ドラ「あまちゃん」。来週放映予定の天野アキのGMTメンバーとの初ライブの日にちの設定は、2011年3月12日。明らかにあの大震災と絡めた展開が予想されます。復興に挑むアキはじめ北三陸の人々のひたむきな姿に、日本全体がもう一度「絆」の言葉を思い出すことを願っています。

2013年7月31日水曜日

ブラジルへの道程 - 東アジアカップ

W杯・五輪以外での初めての海外観戦です。今回の東アジアカップ応援ツアーには反町姫のお誘いで、むしろ初のソウル観光を楽しむつもりで参加致しました。肝心の試合の方は、なでしこは間違いなく優勝だろうと、閑散としたスタジアムでのんびりと観戦していたところ、よもやの敗戦。国内組の男子代表の日韓戦は、アジアNo.1のプライドをかけた戦いとなりました。さすがに伝統の日韓戦。時折激しく雨の打ちつける悪天候にも拘らず、スタンドは8割がた埋まり、スタジアムは「テーハミング」の大音響に包まれました。サポーターの大声援に後押しされて、韓国代表は序盤からフルスロットル。日本代表はなす術なく押し込まれ、ウイングがディフェンスラインに吸収され、シックスバックで守る様相に。両翼ともに高く張られて、サイドを起点に再三ゴールを脅かされます。最終ラインで何とか踏みとどまるも、クリアボールを拾われては再び波状攻撃を仕掛けられるという一方的な展開に、日本人サポーター席のイライラが募ります。GK西川からのフィードも前線に放り込むだけのロングキックに終始し、サポーターからは「周作、ちゃんと手で繋げ!」の罵声も。試合はロスタイムの柿谷の劇的ゴールで勝利を収めたものの、いわゆる日本らしいパスサッカーが影を潜め、爽快感の無いゲームでした。というのが、現地での観戦の率直な感想。
ところが、帰国して早速録画を見てみると、違った風景が見えて来ました。確かにゲームを通して押し込まれる展開には変わりがないのですが、TV画面での選手の身振りや表情には、スタンドで感じていたほどのバタバタ感がないのです。スタンドからの観戦はピッチ全体が見渡せて、フォーメーションや選手個々のポジショニングが分かる醍醐味がありますが、高低・遠近がアバウトだったり、選手の表情が読み取れないのが難点です。時としてスタンドから見るととんでもないミスパスが、TVで見ると実は気持ちを込めた絶妙なスルーパスを狙ったものだったりします。この試合もスタンドからだと、日本代表が苦し紛れに蹴り返すだけの極めて情けない展開に見えましたが、TV画面での選手の姿にはむしろ余裕すら伺え、戦略的にリスクを抑え、あえて堅守速攻に徹して勝負に拘る姿勢が読み取れました。代表へのアピールを図りたいというのが選手達の本音だったと思いますが、はやる気持ちを抑えてチーム戦術に徹していました。コンフェデ杯とは選手が一変していますが、チームとしてコンフェデ杯惨敗の教訓を踏まえ、成長した姿を見せてくれたと勝手に解釈しています。監督解任の声もあがり、優勝が絶対条件の中、ザッケローニは大胆なターンオーバー制を取り、全選手に出場機会を与えるとともに、主力メンバーに最終戦前に休養を与えることにも成功しました。結果的にこの作戦が当たり、また、韓国戦3人目に投入した豊田が守備で貢献するなど、ザックも本田同様「持っている男」なんでしょう。

2013年6月30日日曜日

コンフェデレーション杯2013 ‐ 見えてきたもの

コンフェデレーション杯2013は、3戦全敗という日本代表にとって極めて厳しい現実をつきつけられた大会となってしまいました。W杯アジア最終予選を最終戦を残して予選突破を決めたとはいえ、予選終盤の戦いぶりは決してアジアチャンピオンに相応しいものではありませんでした。「このままでは世界とは戦えない」という不安を抱えてのブラジルへの旅立ちでした。コンフェデ杯3戦で9失点の守備では、世界では勝ち点を奪うことは出来ません。得点力を考えると、とにかく、失点を1点以内に抑えることが、まず挑むべき課題でしょう。一方で、4得点には一縷の光明を見出すことが出来ます。日本のバスサッカーが世界のDF陣を切り裂いた瞬間もありました。第三の動きの運動量を増やし、連動性を高めていけば、世界の脅威となるポテンシャルは秘めています。最大の問題点は、イタリア戦、メキシコ戦で露呈した試合運びの稚拙さでしょう。高い温度と湿度、過密スケジュールという過酷な試合環境の中で、一本調子の常にフルスロットルの戦い方では、どこかでエアポケットが出来てしまうことは避けられません。日本代表の失点は、いずれもそのエアポケットをつかれたものです。
マリーシアというポルトガル語があります。もともと「ずる賢い」という意味なので、日本では、審判の死角で反則するとか、反則スレスレの行為を指すなど誤用されていますが、正確には、試合での駆引きや臨機応変な試合運びといった知的な戦い方を意味するものです。このマリーシアは豊富な人生経験や試合経験を通じて得られるものとされています。外国人監督から「日本代表に欠けているものは経験値」という言葉がよく聞かれますが、強豪との真剣勝負を通じてのマリーシアが身についていないということなのです。この歳になって判るようになったのですが、風を読み、潮目を感じる能力は、座学や書物から学ぶことは出来ず、経験を通じてのみ身に付くものです。この能力があってこそ、流れに乗り、流れを引き寄せることが出来ます。あるいは、一瞬の「機」を見極めることが出来ます。ただ、サッカーで厄介なのは、11人がこの感覚を瞬時に共有しなければならないということです。コンフェデ杯での日本代表には、明らかにこの部分が欠けていました。本田圭佑は、W杯優勝を口にしていますが、その為には、本田のいう個の成長とともに、着実に経験値を積み重ねてのチームとしての成熟が必要です。まだまだ、長い目で見る必要があるのかもしれません。

2013年6月17日月曜日

途切れさせてはいけないもの

W杯アジア予選最終戦イラク戦。コンフェデレーション杯初戦ブラジル戦。そして、Jリーグ東日本大震災復興支援スペシャルマッチ。本当に慌ただしくも至福の1週間でした。
イラク戦は勝ったことだけが全て。本来の目的のサブの選手を試すという点では不十分。且つ、起用されたサブの選手はアピール出来ず。W杯本戦に向けた準備の第一歩としては、何となく消化してしまった試合となってしまい、満足なものではありませんでした。その結果が、コンフェデレーション杯初戦。世界とアジアの差をまざまざと見せつけられた惨敗でした。「個」のレベルの違いは明らか。それに加え、ここぞという時のチームとしてのスピードはもはや異次元。長友は「中学生とプロのゲーム」と揶揄していました。この惨敗を本戦で繰り返すわけにはいきません。何をすべきか?本田の言うように「個の向上」はもちろん必須ですが、これを前面に押し出すのは危険です。「個」の差を前提として、どう戦うのかの戦略を練るべきでしょう。いわゆる「自分たちのサッカー」をアジア仕様から世界仕様に設計変更せざるを得ないのが、現実の姿であり、これから1年の課題だと思います。
さて、Jリーグ東日本大震災復興支援スペシャルマッチ。昨年に続き2回目の開催となります。写真はキックオフ前の黙祷のシーンです。被災地にゆかりのある選手で構成されたTeam As OneがJリーグ選抜を下し、昨年に続き勝利を飾りました。一旦退いた闘莉王がFWとして交代で出てくるなど、選手自身も楽しみ、エンターテイメントの要素も散りばめられたマッチでしたが、反面、勝ちにこだわった熱い気持ちも感じられ、被災地に勇気を与えるイベントに相応しいゲームでした。スタジアムでは、被災地の小学校のグラウンドに簡易照明を設置するための募金が行われていました。小学生たちが日没後もサッカーを楽しめるようにという目的です。募金の使途としては、他に優先順位の高いものもあろうかと思いますが、サッカーファンが是非してあげたいことなのです。それぞれが、その立場と見方で、出来ることを続けていくことが大事なのだと思います。日本代表の「個」と「組織力」の向上。震災復興。それぞれに終わりのない長い道のりですが、一歩、一歩、足を踏み出し、歩みを継続していくことこそが、重要なのではないでしょうか。決して途切れさせてはいけない。

2013年6月9日日曜日

Oの悲劇

5月23日国立競技場。藤田俊哉送別試合。至福の時間でした。現役時代いつもTV画面のどこかに顔を見せていた俊哉が、現役さながらの運動量で走り回り、ウルトラマン並みに3分間限定でピッチに立ったゴンが、予告通り、俊哉にアシスト。(「俊哉にはいつもアシストしてもらっていたので、最後は俊哉のゴールをアシストしたい」試合前のインタビュー。)ハーフタイムのカズとのパス練習をはじめ、ゲーム中もカズにボールを集めるなど、妙にカズに気を使っていたヒデなど、見所満載の本当に楽しいゲームでした。その中でも、クライマックスは10数年ぶりのN-Box(名波を中心にMF5人がサイコロの5の目状に配置されたジュビロ磐田最盛期の布陣。週刊サッカーマガジンが名波のイニシャルから命名)。福西が名波を追い越し、俊哉が並走。福西の抜けたスペースを服部がカバー。名波を中心に幾何学模様を描くような見事な流動性は健在。もっとも、服部はかなり体が重そうでしたが。そして、寂しかったのは、N-Boxの一角の奥大介がいなかったこと。すね当てが出るほどソックスを下げて、チョコチョコ走り回っていた奥は、紳士の多いジュビロのプレーヤーの中で珍しいトラブルメーカーでした。レフリーに注意されてソックスを一旦は上げるものの、すぐにずり下がり、再度注意されては、レフリーに逆に食ってかかる。小柄で童顔の容貌も相まって、憎めないキャラクターでした。
その奥が今回の事件。残念です。サッカー選手のみならず、仕事と家庭を両立させなければならないのは、世の常。ただ、この2つは微妙な関係で、トレードオフの関係であったり、どちらかがうまくいかないと他方に連鎖したり。体調不良でサッカーの世界を離れざるをえなかった(FC横浜のテクニカルアドバイザーを辞任)奥の無念さは、推し量るだけでも胸が痛みます。だからこそ尚更家庭に安らぎを求めようとしたのでしょう。自らの存在価値を見つけようとしたのでしょう。その過剰な気持ちが悲劇につながったのかもしれません。
写真は、送別試合でスタンドに投げ入れられた紙吹雪替わりのサックスブルーのメタルテープです。新潟に反町姫から分けて頂きました。裏に俊哉の直筆で書かれていた文字は「サッカー楽しいです‼」あのドリームチームのメンバーには、いつまでも楽しさの連鎖を紡いでいて欲しかった。

2013年6月5日水曜日

余りに予定調和の結末 ‐ 豪州戦

いずれにせよ、W杯出場決定の歴史的ゲームになるだろうとの確信はありましたので、祝賀セレモニーが終わってからの遅い帰宅になることを覚悟していました。しかし、実際には、素直に喜ぶ気になれず、試合終了後早々とスタジアムを後にしました。浦和美園駅までの約20分間の道のりは、喜びに沸くサポーターは少なく、まるで山間の沢の流れのような静かな青い帯が小刻みに揺れているのみでした。評価しにくいゲームでした。前半見事なカウンターをし掛けていた豪州も、後半はピタッと脚が止まり、完全に日本ペース。それでもゴールを決め切れない日本は、DF栗原を投入し、スコアレスドロー狙いの3バック(?)へのシステム変更。ところが、攻撃的3-4-3が染み付いているチームはサイドが前掛かりになってしまい、豪州のラッキーな先取点の遠因を作ってしまいます。最後のPKは豪州戦アウェーでの不可解なPKの埋め合わせのようなサッカーの神様の采配。結果だけみると、日本がW杯への切符を手にし、豪州も勝ち点1の積上げにより望みを繋ぐという、双方にとって最低限の目標を達成した極めて予定調和的な結果となりました。5大会連続W杯出場というのは大変な偉業であり、素直に喜ぶべきでしょうが、代表選手達が「W杯優勝」を口にしている以上、サポーターとしても、安易な妥協は出来ません。アジア最終予選突破を通過点とするならば、最終ゴールの本戦での躍進は現時点ではかなり遠いと言わざるを得ません。このままでは世界と戦えません。ザックジャパン発足時は、守備が安定し、攻撃時の選手間の連携も躍動感が溢れていました。しかし、このところ、守備は厚みに欠け、攻撃も狭いスペースの突破にこだわり過ぎている感があり、「組織は出来上がった。次は個の成長」の呪縛に囚われ、肝心の連携を失いつつあるのではないかと危惧されます。成長の過程の踊り場状態といえるかもしれませんが、ここを乗り切り、確実な成長を実現できるのか、あるいは、このまま、組織崩壊の途を辿るのかは、まさに指揮官の手腕次第というべきでしょう。トルシエ、ジーコは失敗し、南アW杯時の岡田監督のみが結果を残しました。ザッケローニは、人柄的には極めて好感を持てるのですが、今回の豪州戦でのドタバタ采配をみると若干不安なしとはしません。スコアレスドロー狙いでDF栗原を投入したのは理に適っています。ただ、ここで、3バックにしたのか、長友を1列前に出して4バックを維持したのかの指示の不徹底がありました。また、終了間際にハーフナーを投入して豪州相手に空中戦を挑んだのは全く疑問。後半明らかに足の止まった豪州には、裏を取ってスピードで挑めるFWの投入が筋。ベンチに佐藤(広島)や石川(FC東京)がいたらと思いました。コンディションの整わない本田・岡崎を先発させたのも疑問。前半は守備重視で後半に勝負する展開でも良かったのでは。チームの建直しには、監督のマネジメントの他、ピッチ上の精神的支柱、流れを変えられる存在が必要です。個人的には遠藤にその役回りを担って欲しいのですが、どうも本田が自他ともに認めるピッチ上の指揮官になりそうです。確かに、はずせば大変なバッシングの標的になりかねない最後のPK(写真)を、ボールを抱えたまま誰にも譲る気配がなかった強靭な精神力は、リーダーの資質十分。ただ、イチかバチかのど真ん中シュートには危うさを感じます。キックスピードで勝負する為にどうしても力が入り、枠をはずすリスクも高まるわけですから。結果的に本田に救われたザッケローニとしては、「チームホンダ」の刷り込みが一層強くなったと思います。今後は、更に本田への依存が強まることでしょう。本田が本戦までの1年間で冷静さとしたたかさを如何に身に着けていくかに、ザックジャパンの命運がかかっているといっても過言ではないかもしれません。

2013年5月25日土曜日

色彩を持たない「つくる」

「1Q84 Book3」から丸3年。村上春樹作品は、読後、時が経つにつれ、徐々に結晶が生成され、ある日突然、思いもよらぬ造形に驚かされたりする楽しさがあります。ただ、「1Q84」だけは、教団「さきがけ」の教祖への嫌悪感が思考や感性にぴったりと蓋をして、どこにも行けないもどかしさを感じていました。そんな想いの中でのこの新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。今回はぴったりとはまってしまいました。「喪失」「孤独」「デタッチメント」「コミットメント」「啓示」「預言」「救済」「回復」「巡礼」。村上ワールドのキーワードが幾何学模様のように整然と並べられたこの作品は、ハルキストにとって、とても心地良く、身を委ね易いものでした。「シロ」はノルウェイの森の「直子」であり、「沙羅」は「レイコ」そのものではないか。それは、デジャヴというより、失われた恋人たちとの邂逅でした。新作は、「ノルウェイの森」の輪廻した姿であり、純化された結晶なのかもしれません。
それにしても、「何故、舞台が名古屋なのか?」素朴な疑問です。村上春樹は「名古屋は日本のガラパゴス」と称していたはずです。その特異な文化を必ずしも好意的には捉えていなかったと思います。舞台は、ストーリー展開からして地方の都市でなければなりません。神戸ではいけなかったのか、仙台ではいけなかったのか、長崎ではいけなかったのか。5人の高校生グループのうち「つくる」だけが東京に出ていきます。4人が地元に残り、地元でそれぞれの人生を歩みます。そして、ある日突然「つくる」はグループからの追放を宣告されます。それは、まさに楽園追放です。しかし、その楽園は、土地ではなく、仲間を意味します。この文脈から、舞台は、大学や産業において様々な選択肢を内包する自己完結的な都市で、特異性を持ちながらも、それ自体「楽園」ではあってはいけない一種無機質性を有する都市でなければならないわけです。なるほど、名古屋です。
村上春樹の作品のタイトルは、いずれも極めて暗示的且つ象徴的に作品を凝縮しているのですが、この作品の長いタイトルは、この作品のあらすじそのものでもあります。色彩(=自我、ポジショニング)を持たないことへの不安と苛立ち。青春時代の極彩色の彩りが否応もなくくすんでいかざるをえない生きるということ。逆に生を蝕んでいく色彩。それゆえの「つくる」という営み。「損なわれた」ものを辿り、再建していく為の巡礼の旅。
「失われたもの」「損なわれたもの」を取り戻すことは出来ません。「つくる」ことでしか先には進めません。

2013年5月6日月曜日

沈まぬ太陽 ‐ 祝!長嶋茂雄国民栄誉賞受賞

「4番サード長嶋」30年振りのアナウンスに胸が熱くなりました。TVにかじりついて長嶋の一挙手一投足に心躍らせ、銭湯では3番の下足札を奪い合い、雨でナイターが中止になった日には、溜息ばかり出て、宿題も手につかなかったあの頃。高度成長期の日本は長嶋とともにあり、長嶋は昭和の人々の生活と完全に同期していました。長嶋は太陽そのものであり。そのまばゆいばかりの光に勇気づけられ、そのほとばしる熱に活力を得て、みんながひたむきに生きていたあの頃でした。国民栄誉賞受賞は当然といえば当然であり、遅きに失した感があります。そんなヒーローも2004年に脳梗塞で倒れた後は、右半身の麻痺と言語障害の後遺症が残り、表舞台からは遠ざかっていました。授賞式でも、右手は終始ズボンのポケットに収められたままでしたし、始球式ではバットに添えることも出来ませんでした。右足を引きずるようにして歩む姿にはさすがにかつての躍動感はありませんでしたが、すっと背筋が伸びた打席での立ち姿には紛れもなくスーパースター長嶋のオーラが漂っていました。そして、左手1本で空振りした後の悔しがる表情はやっぱりミスター。沈まぬ太陽がそこにありました。大観客の前でスピーチを行い、バットスイングを出来るまでに回復した裏には、文字通り血のにじむようなリハビリを通じての壮絶な後遺症との闘いがあったとのことです。(脳梗塞で倒れた直後は、もう立つことも話すことも出来ないと医師に診断されていたそうです。)我らがヒーロー長嶋は、汗をほとばしらせて、まだ戦っている。そして、我々を励まし続けている。