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2013年12月8日日曜日

The Golden Slumbers - M君に捧ぐ

以前にも書きましたが、Facebookを始めてからBlogの書込みがめっきり減ってしまいました。呟いてしまったことで、何となく心に貯めたものが吐き出され、Blogに想いが込められないということもあります。しかし、この1ヶ月はとても感慨深い出来事が多かったので、反芻しながら、書き残しておこうと思います。
11月18日Paulが東京ドームにやって来ました。さすがに声の伸びと艶には衰えが感じられたものの、アンコール曲の最後にシャウト系のHelter Skelterをもってくるなど、古希を超えているとはとても思えないエネルギッシュな3時間休みなしの圧巻のステージでした。もちろん、Paulの公演は、楽しみにしていたのですが、さらにもうひとつの想いがありました。実は、直前に会社の後輩のM君が突然あの世に旅立ってしまったのです。彼とは、ビートルズのコピーバンドのライブハウス「Abbey Road」仲間でもありました。彼は、「Golden Slumbers」が好きで、いつもリクエストするのですが、彼がいる時に限って演奏されないという残念な巡り合わせの曲でした。今回のPaulのステージで、M君への追悼歌として是非歌って欲しいと願っていたわけです。しかし、残念ながら最後まで演奏されませんでした。この曲は他の3曲とメドレーとなっている為、演奏に約6分を要し、アンコール曲には向きません。やはり、アンコール曲は福島の被災者に贈る「Yesterday」とまさかの「Helter Skelter」。やっぱりダメだったかと諦めていましたが、奇跡が起きました。開演後3時間近くにもなろうかというのに、2度目のアンコールに応じてPaulが再びステージに。キーボードの前に座ったPaulが歌い出したのです。「♫Once there was a way・・・」涙が滲んできました。Paul、奇跡をありがとう。
もう一つ、心に沁みた曲、「Blackbird」。長女が好きな曲でもあります。Paulのアコースティックギターでの弾き語り曲です(写真)。♫Blackbird fly, Blackbird fly. Into the light of the dark black night・・・.
傷ついた鳥に、暗闇の中のほのかな灯りに向かって飛びたてと呼びかけます。Blackbirdは黒歌鳥との和名通り、美しい歌声の小鳥です。Paulはステージでこの歌をこう紹介していました。「60年代の米国で、とても苦しんでいる人たちが立ち上がろうともがいていることをニュースで知ったんだ。公民権運動だった。僕は苦しんでいる人たちに少しでも希望や勇気を与えることが出来ればと思って、この曲を書いた。」

M君は、やんちゃな天使が地上に迷い込んでしまったような、純真で、真っ直ぐな性格の人物でした。こよなく、だんじり祭を愛し、故郷岸和田を愛していました。乾いた東京での暮らしは彼にとっては時にして辛いものだったのかもしれません。魂が解き放たれて、懐かしい故郷の上空であのはにかんだ笑顔を振りまいていることを祈るばかりです。)。♫Blackbird fly, Blackbird fly. Into the light of the dark black night・・・.

2013年9月23日月曜日

I'll follw the sun - 旅立ちの時

The Beatlesの"I'll follow the sun"。「明日は雨が降るかもしれない。だから、僕は太陽を追いかけていく」「And now the time has come And so my love I must go」ミディアムテンポのギターが、しっとりと染み込んできます。太陽を追いかけて、田舎の一本道を遠ざかっていく人影。そんな光景が浮かんでくる詩情溢れる楽曲です。つい最近、新たな人生を踏み出した友人が、Facebookでこの曲になぞらえて心情を語っていました。まさに、旅立ちに相応しい曲だと思います。ところが、この曲はポールが16歳の時の作品とのことです。しかも、風邪で寝込んでいて、吸った煙草がひどくまずくて、そんな時、レースのカーテン越しに眺めた外の景色を曲にしたものだそうです。風邪をひいた不良少年が煙草に咳込みながら作った曲に、人生の節目の時を重ねて感傷的になるというのは、少しばかり情けない気もしますが、それだけ、ポールが早熟の天才だということなんでしょう。そのポールがやって来ます。太陽を追いかけて、時代を駆け抜けて来た71歳の天才ミュージシャンの歌う"I'll follow the sun"はどんな深みを増しているのでしょうか。

2013年2月17日日曜日

拓郎 「雪」

鹿児島生まれ、広島育ちの吉田拓郎だけに、雪の歌は多くはありません。ただ、以前ブログで取り上げた「外は白い雪の夜」(クリックでリンク)は、拓郎ファンの中で1、2の人気を争う名曲ですし、フォークグループ「猫」に書き下ろした「雪」も如何にも拓郎らしい余韻が残る名曲です。この曲に関しては、オールナイトニッポンGoldの中で拓郎自身「これこそがラブソングだ」と自画自賛しておりました。恋心とは胸が切なく痛むものであり、そのどうしようもない切なさを歌うのがラブソングだと。最近のラブソングは、「いつも君の傍にいてあげるから」とか「君を支えてあげるよ」といった妙に冷静に愛を歌い上げるものばかりだと嘆いていました。そして、そんな「愛」の歌は、どんなに頑張っても、Simon & Garfunkleの「明日に架ける橋」を絶対に超えられないんだと。
「♫雪でした あなたのあとを なんとなく ついて行きたかった 振り向いた あなたの瞳は 早くお帰り 坊やって言ってた」
この歌にはモデルがいたそうです。デビューしたての拓郎が、地方ラジオ局の番組にゲストとして出演した際、番組終了後居酒屋で女性ディレクターと二人で酒を酌み交わしながら、将来の夢を熱く語ったそうです。お店を出ると外は一面の雪。そのほのかな雪明りの中を彼女は歩いて遠ざかっていきます。その背中を見ながら、急にこみあげてくる切ない思い。拓郎は、追いかけていって背中から抱きすくめたい衝動を必死で抑えます。「♫雪国の 小さな街に そんなわたしの 思い出がある」
写真は、先日訪れた北海道定山渓温泉の神社で行われていた雪灯路です。神社の境内に2,000の雪灯が燈され、幻想的な世界を創り出していました。すべてのものを白く包み込んでしまう雪は、まるで過去の日々を覆いつくし、消し去ってしまおうとする残酷な時の流れのようです。雪灯はかすかな記憶の中に切なく灯る思い出。「♫夢でしょうか あの日のことは 雪を見るたびに 思い出す」

2013年1月24日木曜日

Come Together ‐ The Endへの哀歌

年末放映されたロンドン五輪総集編の録画を見直していて、開会式でThe Beatlesの「Come Together」が演奏されたのに気が付きました。この曲は、スタジオ前の横断歩道を4人が渡っているカバージャケットがあまりに有名なアルバム「Abbey Road」の1曲目に収録されています。このアルバムは、1969年9月にリリースされました。その後「Let it be」が1970年5月にリリースされ、この「Let it be」がThe Beatlesのラストアルバムとなりました。しかし、「Let it be」の最終録音となった伝説のループトップ・コンサートが行われたのは1969年1月であり、「Abbey Road」の録音が行われたのは1969年7月ですから、実際は「Abbey Road」がThe Beatlesの製作した最後のアルバムということになります。
アルバム「Let it be」で、The Beatlesの末期的な状況を悲しんでいたPaulは、もう一度昔のようにやり直したいとの思いをこめて「Get Back」を歌っています。夢に出てきた母Maryの「Let it be(あるがままに受け入れなさい)」との啓示にもかかわらず・・・。「Abbey Road」の中には、このPaulの「Get Back」の呼びかけへの各メンバーからの返歌が散りばめられています。メンバーの仲を取り持つことにすっり疲れ果てたRingoは「Octopus' Garden」で「海の底にもぐって静かに暮らしたい」と歌っています。録音中にスタジオを飛び出してしまい数日戻ってこなかったGeorgeは、その時の思いを「Here comes the sun」で「It's beeen a long, cold, lonley winter」だけど「It's alright」と自らを励ましています。The Beatlesの解散にはオノ・ヨーコが大きくかかわっていると言われていますが、Johnは「I want you」で「She's so heavy」と歌い、The Beatlesよりもヨーコを選択することを宣言しています。そして、「Come Together」。John特有のサイケデリックな歌詞です。日本で発売された当時のレコードの歌詞カードには「対訳不可能」と書かれていたそうです。歌詞は4節に分かれており、それぞれThe Beatlesのメンバーについて歌ったものだという説があります。第1節で「Hair down to his knee(髪を膝まで伸ばした)」George(写真:かなり長髪)を「He just do what he please(好き勝手にやっている)」と切り捨てています。2節目で「He wear no shoeshime(裸足の)」Paul(写真:確かに1人だけ裸足)には「He shoot Coca-Cola (コカインをやって)」「He say "I know you, you know me"(お互い知った仲じゃないかというけど)」「One thing I can tell you is you got to be free(ひとつだけ言えることは自由になっていいよということ)」と突き放しています。第3節はJohn自身について「He got Ono sideboard he one spinal cracker(オノという食器棚と一緒に(交通事故で)背骨を傷めた)」Johnは「Hold you in his armchair you can feel his disease(肘掛け椅子でヨーコを抱く。ヨーコには彼のみじめさが判るだろう) 」と嘆いています。最終節はRingoということになります。「He got early warning(早くからグループ内の亀裂に警告を発し)」「 He got muddy water he one mojo filter(泥水の中でフィルター役になっていた)」Ringoは「 Got to be good-looking 'cause he's so hard to see(目立たない存在ゆえにカッコいい奴になった)」と多少持ち上げています。
難解なのは「Come together right now over me」のリフレイン。「みんな、また、俺と一緒にやろうぜ」という単純な訳では歌詞の流れと矛盾してしまいます。「Over me」がカギなのでしょうか。「俺を超えて」なのか「The Beatlesを超えて」なのか。そういえば、Johnの発する「シューッ」というガイドボーカルは、The Beatles Anthology 3のバージョンでははっきりと「Shoot me!」と聞こえるそうです。この言葉にJohnがどう様な思いを込めていたのか、今は知る由もありません。

2012年10月23日火曜日

帰ってきたウルトラマン ‐ 拓郎復活

(注)本ブログの内容には、コンサートでの演奏曲及びMCの内容等ネタばれの情報が含まれています。これからコンサートに行かれる方は、この点、ご承知の上、お読みください。・・・拓郎が3年振りにステージに戻ってきました。3年前、コンサートツアーを途中で中止し、以来ライブから遠ざかっていた拓郎の満を持しての復活ライブです。その間に2枚のニューアルバム(除くライブアルバム)をリリースし、坂崎幸之助とのオールナイトニッポンGoldでの掛合いは絶好調。「完全復活」が問われる今回のコンサートツアー初日、東京国際フォーラムAホールでした。
アラカン世代にとって、ウルトラマンと並ぶ絶対的なヒーローである拓郎も66歳。心身ともに体調が懸念される中、本人のみならず、観客にとってもどこか落ち着かない開演の瞬間でした。緊張のオープニング曲は、何と「♪ドゥ~ビ ドゥビ ドゥビ エマニエ~ル」映画エマニエル夫人のテーマ曲でした。先日逝去したシルビア・クリステルへの追悼曲。これで会場の緊張を緩めた後、実質的なオープニング曲「ローリングストリートキャフェ」。そして、その後に掟破りの逆サソリ、何と「落陽」。会場、戸惑いながらも総立ち。普通であれば終盤近くまで温存しておくべきこの歌を出だしにもってきて、いきなりトップギアにシフトしたのを、拓郎はこんな風に語っていました。「エンディング曲を歌ってしまいましたので、後のステージはオマケみたいなものです。皆さん、ご自由にご歓談下さい。僕は、勝手にステージで歌っていますので・・・」拓郎らしいジョークですが、多少なりとも本心だったと思います。3年振りのステージ、しかも、前回は途中で体調を崩しての中止。声は本当に出るんだろうか?会場の雰囲気に馴染んで、のっていけるのだろうか?不安だらけの手探りのステージだったと思います。だからこそ、のっけから伝家の宝刀「落陽」で自らと会場のテンションをピークに持っていったのではないでしょうか。(ちなみに、拓郎は、ラジオの中で、「『落陽』は出だしを歌えば、後はファンが勝手に後を歌ってくれるからこれほど楽な曲はない」と語っていました。)コンサートの中盤で「いい曲なのに、どうしても気持ちがこもらない曲がある。気持ちが乗らないから、演奏もドタバタになる。聴いてみたい?時間つぶしで」と、歌い出したのが「ふゆがきた」。加藤紀子への提供曲です。かなりの拓郎マニアでなければ、知らないと思います。案の定、会場は、ちょっと白けた雰囲気に。これは拓郎もこたえたんじゃないかな。その後は更にペットボトルを口にする回数が増えました。しかし、拓郎はやっぱり拓郎。ギターを両手で鷲づかみにし、仁王立ちで声を絞り出すようにして歌ってくれた「流星」「外は白い冬の夜」には魂が揺さぶられました。66歳が歌う「リンゴ」に青春の甘酸っぱい香りを感じました。昔は、むしろ抑えて歌うことで逆に感情のほとばしりを増幅させて伝えていた拓郎が、今は、絞り出すような歌声そのものに自然に全てが込められているような純化・昇華を感じました。また、最初にグッと盛り上げておいて、最後はしっとりと余韻を残して終わるという構成は、平均年齢60歳前後の観客層には十分アリだったと思います。青春時代の恋人に30年振りに出会ってお話ししたような何かぎこちない雰囲気でしたが、ヒーローがヒーローだったことを再認識し、素晴らしい齢の重ね方をしていることを確認することが出来たコンサートでした。5,000分の1の拍手ではありましたが、僅かでも拓郎にエールが届いたかなと・・・。貴重なチケットを割いて、コンサートに誘って頂いたDr. Steveには大感謝。ラストの「外は白い雪の夜」は、内田篤人とY子さんに聴かせたあげたかった・・・。

2012年10月14日日曜日

And Your Bird Can Sing

The Beatlesの中期の曲に「And Your Bird Can Sing」という楽曲があります。1966年にリリースされたアルバム「Revolver」に収録されている曲です。ツインリードギターでのリフレインの演奏が秀逸で、お洒落なメロディラインの名曲だと個人的には思っていますが、評価が分かれ、一般的にはそれ程人気のある曲ではありません。作者のジョンも、後に「つまらない曲で、ゴミ箱行きの曲だよ」と斬り捨てています。歌詞は、
♪ あなたは欲しいものはすべて手に入れたというけど
  私を手に入れてはいない  
  あなたは世界の七不思議を見尽くしたというけど
  私を見ることは出来ない
  あなたの宝物が重荷になってきたら
     私の方を向いて
  私はいつもあなたのそばにいるから
といった具合の一見安っぽいラブソングです。ただ、気になるのは、曲のタイトルにもなっている「And Your Bird Can Sing」のフレーズ。ヒントになるのが第2フレーズの「And your bird is green」。普通に訳せば「あなたの小鳥は緑色だね」なんですが、これでは意味をなしません。Greenには「世間知らず」とか「青ざめている」という意味もあります。「あなたの小鳥は世間知らずなんだよね」とか「あなたの小鳥は青ざめているよ」という風に訳して、「そして、あなたの小鳥は歌うことが出来る」の訳と重ねると、この「小鳥」とは、実はThe Beatlesなんじゃないかと解釈されます。だとすると、この「You」は小鳥の飼い主であるブライアン・エプスタインということになります。
当時、The Beatlesは、アイドルから世界的なミュージシャンへの過渡期にありました。前年リリースしたアルバム「Rubber Soul」に続いて、{Revolver」という音楽性の高い実験的なアルバムを発表し、独自の音楽世界を築きつつありました。もはや、その生み出す楽曲は、当時のステージでの再現は不可能であり、実際、ライブを中止し、スタジオでの音楽作りに専念するようになっていました。この曲「And Your Bird Can Sing」は、彼らのそんな思惑を無視して、世界ツアーを企画し、彼らを数々のステージに引き回してきたマネージャーのブライアン・エプスタインを揶揄した曲だったのではないでしょうか。歌詞は続きます。
♪ 小鳥が傷ついたら あなたは悲しむのかな
     むしろ目が覚めるかもしれないね
これは、ジョンのエプスタインに対する精一杯の皮肉だったのかもしれません。
そのエプスタインは、翌年の1967年8月にアスピリンの過剰摂取で突然の死を迎えます。検死の結果、事故として処理されましたが、同年9月末にはThe Beatlesとのマネジメント契約が期限切れとなることもあり、自殺ではないかとの説も根強くささやかれています。
改めて聴いてみても、この曲のメロディはやはり素晴らしいと思います。その曲に、つまらない詞をつけてしまったという悔恨の思いが冒頭のジョンの「ゴミ箱行き」発言に繋がっているのかもしれません。
ところで、ちょっと前のブログで内田篤人と拓郎の「外は白い雪の夜」の話題を取り上げましたが、朝日新聞の内田のインタビュー記事に「休日は家にこもって音楽を聴いている。対象は安室奈美恵から吉田拓郎まで幅広い」と紹介されていました。

2012年9月2日日曜日

熱帯夜に・・・「外は白い雪の夜」

このブログに時々登場して頂いている「反町姫」とは、4年前北京五輪でお会いし、それ以来、国立やヤマハスタジアムで何回か再会を果たしていました。今回のロンドン五輪は、旅程が別の為、まさかお会いすることはないだろうと諦めていましたが、なんと、カーディフのミレニアム・スタジアムでバッタリ。しかも、すぐ前後の席。信じられない因縁です。その反町姫から、五輪の写真とともに面白いサッカーネタが届きました。サッカー日本代表、五輪でも活躍した吉田麻也のブログに、ウッチーこと内田篤人が吉田拓郎の名曲「外は白い雪の夜」にハマっていると自ら投稿。ウッチーに何があったのかと、ウッチーファンの間に波紋を投じているそうです。この曲は松本隆の作詞で、男女の切ない別れが男女の掛合いという形で歌われています。「♫傷つけあって生きるより 慰めあって別れよう」「♫今夜で別れと知っていながら シャワーを浴びたの 哀しいでしょう」確かにこの曲を聴いたら、ファンはウッチーに何があったのかと心配になることでしょう。一説には、麻也のプレミア移籍が関係しているのではとの憶測も。これまでは、ドイツ、オランダという陸続きの両国の間を往き来し、週5回は会っていたというマヤ、ウッチーでしたから・・・。
「外は白い雪の夜」は、拓郎ファンの間でも人気の高い曲です。そして、拓郎にとっても特別な曲のようです。「落陽」と同様、ライブでは必ずという位歌われる曲で、また、唯一出場した1994年の紅白歌合戦でも、この曲を歌っています。五木ひろし、森進一、前川清がバックコーラスを務め、日野皓正がトランペットを演奏するという超豪華な一曲でした。ちなみに対戦相手は松田聖子。この年、実は中島みゆきにも出演依頼がなされていましたが、中島みゆきはこれを辞退しています。(他にも松任谷由実、ZARD、竹内まりや、Mr. Childrenなども辞退しています。)中島みゆきが出演していたら、この曲か、あるいは「永遠の嘘をついてくれ」のデュエットが聴けたかもしれません。ほぼ20年前の話です・・・。「♫Bye Bye Love 外は白い雪の夜・・・」

2012年5月28日月曜日

バラの恋人

サントリー烏龍茶のCM。宮崎あおい扮する綺麗なお姉さんにほのかな恋心を抱く少年。毎朝出会う坂の上の横断歩道で、少年は思い切ってバラの花束を渡そうとしますが、お姉さんにすっとかわされてしまいます(フェイント篇)。翌日少年はすれ違いざまに花束をお姉さんに放り投げます。思わず受け取めて「困った子だな」とつぶやくお姉さん(パス篇)。BGMで流れているのがザ・ワイルドワンズの「バラの恋人」。1968年のヒット曲です。実力派ながら華やかさに欠けていたザ・ワイルドワンズがジュリー、ショーケンに対抗するアイドルとしてチャッピーこと渡辺茂樹を加入させ、そのヴォーカルデビューがこの曲でした。「♪いつでも逢うたびに 君の返事を 待ってるのに また今日も いつでも逢うたびに 君のひとみを 見つめるのに わからないの」もどかしく、切ない歌詞ですが、それでいて恋の成就を予感させるところに、昭和の香りが漂います。写真は、ホームパーティにご招待頂いたNさんのお庭のバラです。毎年バラが盛りを迎えるこの時期にお招き頂いていますが、今年は特に色鮮やかな大輪の花をつけているように感じました。肥料に改良を加えて、今年はなかなかの出来栄えとのことでした。手間をかけないと綺麗な花が咲かないのがバラで、綺麗なバラほど大事に育てないと花をつけてくれません。写真の中央に薄紫のバラが一輪俯きがちに咲いていますが、とても弱くて難しい花だということでした。如何にも繊細で気品漂う青みがかった薄紫の可憐な花でした。「♪髪がゆれて バラのくちびる すねてるようなとこも 好きなのさ」

2012年3月21日水曜日

I am the Walrus - サイケデリック・ロックの金字塔

The Beatlesの"I am the Walrus" はTV映画Magical Mystery Tourの挿入曲です。写真のように4人がセイウチなどの着ぐるみをまとって、野外で歌っています。Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandなど中期のBeatlesのアルバムにはサイケデリック・ロックとよばれる曲が多数含まれていますが、その中でもこの曲は特にサイケデリック色の強いナンバーです。ちなみに、サイケデリックとは、「LSDなどの覚醒剤によってもたらされる様々な幻覚、極彩色のぐるぐる渦巻くイメージやペーズリー模様によって特徴づけられる視覚・聴覚の感覚」の形容表現とのことです。その独特の浮遊感と超現実的な音作りを基調としたのがサイケデリック・ロックです。このI am the walrusは、メロディーもさることながら、歌詞も強烈です。冒頭の「♫I am he as you are he as you are me and we are all together. 」から既に幻覚症状。歌詞に出てくる"Eggman"はルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に出てくるハンプティ・ダンプティを連想させるので、タイトルのWalrus(セイウチ)も同作品に出てくる「セイウチと大工」からとられたものだとされています。また、「Goo Goo g' Joob」は「Good Job」とセイウチの鳴き声をかけたものと言われています。この辺りまでは、まだ、幻覚的とはいえ、作為性のある歌詞ではあります。2番の出だしの「Sitting on a cornflake, waiting for the van to come. 」は、面白い情景ですし、、3番の歌詞にある「Lucy in the Sky」はまさにご愛敬。まだ、正常な思考回路が残っている感があります。しかし、4番は、一転して書くもおぞましいグロテスクな歌詞となり、まさに幻覚・幻聴の世界。その意味ではサイケデリック・ロックの金字塔をなす作品かもしれません。ポールも、自伝『Many Years From Now』の中で、この曲をジョンの最高傑作の一つと称賛しています。5番は、「英国風の庭で太陽が昇ってくるのをまっている。太陽が昇ってこなければ、英国の雨に打たれて日焼けをすればいい。」ととても幻想的で情緒的な歌詞。個人的にはとても好きな情景描写です。エンディング付近は、イワシがエッフェル塔をよじ登ったり、ペンギンがヒンズー教の聖歌を歌ったり、エドガー・アラン・ポーが蹴飛ばされたりと、ナンセンス・フラッシュのオンパレード。確かにしらふでは書けない歌詞ではあります。
それにしても、終盤にグッとせり上がってくるような、押し寄せてくるようなリフレインは、この曲の真骨頂です。実は、この曲のレコーディングの数日前の1967年8月27日に、デビュー以来のマネージャーであったブライアン・エプスタインが死亡しています。この曲の圧倒的な迫力は、エプスタインに捧げる惜別の叫び故かもしれません。「♫ goo goo g'joob g'goo goo g'joob」

2012年3月3日土曜日

The Monkees - RIP, Davy

ちょっと前のことになりますが、出張先のホテルのTVでCNNを映していたら、The MonkeesのDavy Jones(写真右下)が2月29日フロリダの自宅で心臓発作で亡くなったというニュースが流れてきました。Micky(写真中央上)がスタジオでDavyとの思い出を語っていました。享年66歳。突然の、そして早すぎる死でした。Monkeesは米国版Beatlesを目指して、メンバーを公募して結成されたグループです。1966年に「Last Train To Clarksville(恋の終列車)」でデビューすると同時にTVで「The Monkees Show」が放映され、メディアミックス戦略が功を奏して一躍スターダムにのし上がりました。グループのイメージとメンバーのキャラクターを徹底するなど、米国商業主義がプロデュースした「作られたアイドル・グループ」の傑作でした。TV番組のオープニング曲「モンキーズのテーマ」で「♪僕らは行きたいところに行く やりたいことをやる 休んでいる暇なんてないさ いつも新しいことはあるんだ」と歌っていますが、その歌詞の通り、どこまでものんきで、底抜けに明るく、悩みとは無縁のアイドル・バンドを演じたグループでした。米国では折しもベトナム戦争が泥沼化し、反戦運動が激化していました。ウッドストックで伝説のロック・フェスティバルが開催されたのもこの時期です。ヒッピーに支持されたカウンター・カルチャーが音楽界でも主流になっていく中で、モンキーズはその対極に位置し、あくまで古き良き米国を象徴する存在でした。中学生だった当時、モンキーズに魅了され、「ザ・モンキーズ・ショー」を欠かさず見ていたのは、楽曲の素晴らしさもさることながら、彼らの「作られた生き方」への憧れが大きかったと思います。(カミングアウトすると、当時はビートルズよりもモンキーズが好きでした)
写真は、代表曲「Daydream Believer」(日本では忌野清志郎がカバーし、カップ麺などのCMで流されていた)のレコードジャケットです。このジャケットでもメンバーのキャラクターが一目瞭然で、いかにもモンキーズです。この曲は、「♪6時の目覚ましが鳴らなければいいのに でも鳴ってる そして僕は起きる 楽しい時を過ごしていても それはいつか終わる 夢想家(Daydream Believer)の彼と学園祭の女王(Homecoming Queen)の彼女には それが判っているのかな」と歌っています。この歌詞が暗示していた通り、モンキーズのDaydreamは長くは続きませんでした。68年にはPeter Tark(写真左下)が、69年にはMike Nesmith(写真左から2番目)が脱退し、1970年、結成してから4年でモンキーズは解散しています。ザ・モンキーズ・ショーのエンディング曲は「自由になりたい」だったと思います。「♪自由になりたい 青い鳥のように 青い海の波のように 君の愛が僕を束縛するなら そんなことしないで さよならしよう」Davyがブランコに乗って歌っていたような記憶が。冥福を祈って、合掌。Rest In Peace, Davy.

2012年1月28日土曜日

流星 ‐ 僕の欲しかったものは何ですか

TVから懐かしいメロディーが流れてきました。吉田拓郎の名曲「流星」。歌っているのは手嶌葵。映画「コクリコ坂から」の主題歌を歌った女性シンガーです。TVで流れていたのはリコーのCM(写真)。働く人々の姿に子供の頃なりたかった職業名を重ねて「子供の頃見ていた夢とは違うかもしれない。だけど、この仕事で本当の自分になれた」というキャプションが流れます。「♪たとえば僕がまちがっていても 正直だった悲しさがあるから ・・・流れて行く」といういかにも拓郎らしい字余りの歌い出しで始まるこの曲は、1979年にリリースされています。この頃の拓郎は、フォーライフの社長として赤字に苦しむ独立レーベルの経営を手掛ける一方、キャンディーズや石野真子に曲を提供するなど、作曲家としての道を歩み始めていました。社長としての初仕事は井上陽水の大麻所持事件での謝罪会見でした。そして、私生活でも2年前に浅田美代子と再婚したばかりでした。

「♪さりげない日々につまずいた僕は 星を数える男になったよ ・・・流れていく」富と名声、可愛い奥さんと、すべてを手に入れ、更に活動の幅を広げた当時の拓郎は、第三者的には絶頂期というべきでしょうが、当の本人はどこか拭い去れない違和感を感じていたようです。
「♪心のどこか忘れもの ただそれだけでつまはじき 幸福だとは言わないが 不幸ぶるのはがらじゃない」四畳半フォークと一線を画し、フォークの枠に囚われない自由な活動を行うのが、拓郎のポリシーでしたが、その中で大事なものを置き忘れてきてしまった喪失感があったのでしょう。
「♪流れる星は今が綺麗で ただそれだけに悲しくて 流れる星はかすかに消える 思い出なんか残さないで」この「流星」に続いて「外は白い雪の夜」「唇をかみしめて」という珠玉の名曲を発表しているのですが、ヒットには繋がりませんでした。また、3年後にはフォーライフの社長を退任すると共に浅田美代子との結婚生活も破局を迎えています。拓郎は当時の自分自身に流星の運命を予感していたのかもしれません。
「♪君の欲しいものは何ですか」はこの曲のサビでリフレインされるフレーズですが、曲の最後は「♪僕の欲しかったものは何ですか」というフレーズのシャウトで終わります。拓郎のダミ声に心が揺さぶられます。でも、「風になりたい」もそうですが、女性がカバーすると、とても心に浸みる歌になるんですね。拓郎が33歳の時に投げかけた問いに、私は56歳を前にして答えようとしています。そして、今、思っています。「♪間に合うかもしれない 今なら」(「まにあうかもしれない」アルバム「元気です。」収録曲)
 

2011年12月25日日曜日

Here Comes The Sun

冬の寒い朝、何故か口ずさんでしまうのが、ビートルズのHere comes the sun。特に憂鬱な時は、冬の弱々しい陽射しを見上げながら、「it's alright」と口ずさむと元気づけられる気がします。この曲は、ジョージの曲です。ジョージといえば、While My Guitar Gently WeepsかSomethingでしょうが、この曲も大好きです。ビートルズ内のゴタゴタに疲れ果てたジョージが、スタジオを抜け出して、親友のエリック・クラプトンの家の庭で日向ぼっこしながら作った曲だと言われています。ちなみに、クラプトンは、ジョージの求めに応じてWhile My Guitar Gently Weepsのレコーディングに参加し、見事にギターを偲び泣かせる名演奏を行っています。また、クラプトンからパティ(ジョージの当時の奥さん)への恋心を告白されたジョージは、「いいよ」とあっさり奥さんを譲ってしまったという不思議な関係でもありました。(ミック。ジャガーやジョン・レノンも「パティ・ボイドに魅かれていた」と語っており、魅惑的な女性だったようです。)
Here Comes The Sunは、アルバムAbbey Roadの収録曲ですが、「It's been a long , cold, lonely winter」とか「I see the ice is slowly melting」といった早春の季節感が日本人の感性に合ったのか、日本だけでシングルカット(写真)されています。
この頃のビートルズはよほど複雑な人間関係だったようで、もともと人づきあいのよいリンゴすら疲れ果てて「静かな海の底で暮らしたい」とOctopus' Garden(同じAbbey Roadに収録)の中で歌っています。もっとも、自らストローで水をブクブクさせて、海の中の効果音を演出するなど、あくまでリンゴらしい明るい曲に仕上がっていますが・・・。
♪ Here comes the sun, doo da doo doo
  Here comes the sun, a
nd I say it's alright
      ..............................
      ..............................
  Sun, sun, sun, here it comes
     Sun, sun, sun, here it comes
今年は、日本にとって悲しく、辛い年でした。でも、見上げるとそこには弱々しくはありますが、暖かさを湛えた陽の光が輝いています。

2011年11月19日土曜日

Golden Slumbers - 浜名湖でのクラス会

写真は海外のリゾート地のように見えますが、浜名湖湖畔のホテルのベランダからのショットです。左下がプール、その先の2つの水面はゴルフ場の池、一番上の水面が浜名湖です。ここ数年恒例になった高校のクラス会を今回は首都圏と関西の中間、浜松で行いました。理数科という当時出来て間もないクラスで3年間を一緒に過ごしたクラスメイト達です。教室で雑巾を丸めて室内サッカーをやったり、トランプを何回没収されても性懲り無くナポレオンをやっていたりで、「史上最低の理数科」とか「天然記念物」とかいう有り難くない称号を頂いたクラスでした。しかし、大変な人材の宝庫だったということが、今になって判ります。卒業後30年を過ぎた頃から頻繁に再会を重ねるようになったのは、単に懐かしさ故だけではなく、出会いによってチカラをもらえるが故だと思います。
Golden Slumbersというビートルズ末期の曲があります。同名の邦画のテーマ曲にもなりました。11枚目のアルバムAbbey Roadに収録されています。このアルバムは「昔に戻って、またコンサートツアーをやろう。昔のようにオーバーダブをせずに曲を作ろう」というポールの呼びかけで「昔に戻る」ことをコンセプトに製作されたものです。しかし、既にメンバーの気持ちはバラバラ。実際、このGolden Slumbersのレコーディングにはジョンは参加していません。この曲の歌詞は16世紀の子守唄がベースになっていますが、ポールはオリジナルの歌詞でこう始めています。「Once there was a way to get back homeward(かつては家に戻る道があった)」残念ながらポールの呼び掛けは功を奏さず、まもなくビートルズは解散することになります。そういえば、最後のアルバムLet It Beの最後の曲もGet Backでした。時の流れに抗して昔に戻る(=Get Back)ということは不可能なのでしょう。時とともに全てが変化します。想い出以外は。人は美しい想い出に戻ろうとしますが、既に戻る場所は失われているのです。ただ出来ることは、想い出を重ねていくこと。そして、同じ想い出を作り、分かち合っていける仲間がいることは何よりも幸せです。「あの日」には帰れませんが、今日をその「あの日」に変えることは可能なのです。
写真の右上で輝いているのは生まれたての朝日です。ホテルの部屋の中では、齢を重ねてちょっと髪の毛が薄くなったオジサン達が、前日の夜更けまでの宴会疲れでGolden Slumbers(黄金のまどろみ)の真っ只中にいました。

2011年11月9日水曜日

When I'm Sixty-four

スランプからの脱出法は、「来た球を、打つ!」ということで、ここ数日頭の中で繰返し流れているビートルズの"When I'm sixty-four"について、徒然なるままに書き綴ってみようと思います。
この曲はポールが作詞・作曲した曲で1967年にリリースされた「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のアルバムに収録されています。ちょうど64歳だったお父さんに捧げた曲と言われています。(「親孝行なビートルズ」というのはちょっと笑えます。)とは言え、曲自体はポールが10代後半に作って、デビュー前から歌っていたようです。その曲をお父さんの誕生日に引っ張り出してきたという訳です。「僕が64歳になって、髪の毛が薄くなっても、君は僕を必要としてくれるかい?僕の為に食事を作ってくれるかい?」と恋人に問いかけ、「君は暖炉の側でセーターを編み、僕は庭で土いじり。これ以上の幸せはないよ。夏にはワイト島に別荘を借りよう。あまり高くなければね。君は孫を膝に乗せて・・・。ベラとチャックとデーヴだ。」と続きます。何ともリアルなこんな詞を十代で書いてしまうとは、ポール恐るべしです。ただ、ここまでの妄想は男の子には無理ではないでしょうか。当時付き合っていた女友達の他愛ない冗談話が元ネタになっているのではと想像しています。小坂明子の「あなた」って感じで。
当のポールは64歳の時は2度目の奥さんとの離婚を宣言して離婚調停中でした。なかなか歌通りの幸せな人生という訳にはいかないものと思っていたら、古稀を前にした69歳の今年、3度目の結婚を果たしています。やはり、只者ではありません。
ところで、この曲は映画「ガープの世界」のテーマ曲となっているようです。原作は村上春樹が好きな(私も大好きな)米国の作家ジョン・アーヴィングです。世界は色んなところで繋がっています。彼の作品の中でも「ホテル・ニューハンプシャー」は特にオススメです。
それにしても、64歳。ポール(もしくはポールの元カノ)程のイマジネーションが無くとも、十分想像出来る歳になってしまいました。(村上春樹風に)やれやれ・・・。(写真は六本木Abbey Road店内に飾ってあるオブジェ)

2011年10月26日水曜日

ビートルズが教えてくれた

先週末いつものAbbey Road Lonely Hearts Club(勝手につけた名前です)のメンバーとThe Parrotsのライヴを満喫して参りました。今回は、Oさんの還暦祝いも兼ねていたので、参加者9名の大所帯。お店自体も初回ステージから満席状態。女性客が多かったせいか、ステージは一段と盛り上がり、A Day in the Lifeのエンディングのうねりは、琴奨菊にがぶり寄りをされているような錯覚を覚える大迫力の演奏でした。
さて、36年前の今日、外貨獲得に貢献したとして、ビートルズに大英帝国勲章(Order of the British Empire:写真)が授与されました。Orderは「勲章」と日本語訳されていますが、「騎士団」を意味し、5等級の上位2等級叙勲者にはナイトの称号が与えられ、サーの敬称で呼ばれることになります。(マンUのファーガソン監督が叙勲しています。また、のちにポールも叙勲しています。)ビートルズに授与されたのは、最下等級5等級のMBE(団員)。それでも、ビートルズへの叙勲に「リバプール出身のオカッパ頭のいかれた連中に叙勲するのは、勲章の権威を汚すものだ」と武功で叙勲した元軍人などから批判が相次ぎ、ビートルズの叙勲に抗議して863個もの勲章が返却されたということです。
この批判に対して、ジョンは「僕らの叙勲に不満をもらした人たちは、戦争で人を殺して、それで勲章をもらったんだろう。でも、僕らの叙勲は、多くの人を楽しませたことの結果だから、僕たちの方がもらう資格はあると思う」と語っています。そして、ジョンは、4年後、英国のビアフラ内戦への関与、ベトナム戦争での米国支援に抗議して、勲章を返還しています。
ビートルズの叙勲に関しては、保守的な人々からの反対以上に、反体制派の当時の若者ファンからも相当な批判があったはずです。それでも、あえて叙勲を辞退しなかったのは、ジョンが語っているようにビートルズなりの社会へのメッセージだったと思います。
吉田拓郎は「ビートルズが教えてくれた」の中でこう歌っています。
♪ 勲章を与えてくれるなら
  女王陛下からもらってしまおう
  女王陛下はいい女だから
  つきあってみたいと思う
  それも自由だとビートルズは教えてくれた
その当時「本当の自由とは何なのか」ということをビートルズは伝えていたのだと思います。
時代の変わり目には、その時流の霊降者のような人物が時として現れることがあります。時代がその人を生みだし、時代の福音をその人の口を通じて語らせる。坂本龍馬であり、ビートルズであり、スティーブ・ジョブズであり・・・。たかだか20代の若者4人が残した余りにも大きな影響力は、そのように解釈しなければ、説明できないのではないでしょうか。

2011年10月3日月曜日

Project Nadeshiko - 結局は太田裕美

尾瀬→燧ケ岳から、脱線したままの「太田裕美」の続きです。彼女は木綿のハンカチーフのイメージが強すぎて、地方出身(何となく東北地方)だと思いがちですが、東京都荒川の生まれで育ちは埼玉県春日部市といわば都会っ子。お寿司屋のお父さんから厳しき躾けられ、通っていた上野学園高校は芸能活動禁止でしたが、日頃の素行が素晴らしいということで、特例でNHKヤング101への出演が許されたという逸話があります。アイドルながら、清楚で気品あふれる雰囲気が魅力でした。77年にリリースされた「九月の雨」の後ヒット曲に恵まれなかった彼女は、一時音楽活動を中止して、82年にニューヨークに短期留学します。この時の経験を綴ったエッセイ集を2冊執筆するなど、文筆活動を行う一方、作曲も手掛け、本格的にシンガーソングライターの道を歩み始めます。85年にはプロデューサー福岡智彦氏と結婚、子供にも恵まれ、現在は主婦として雑誌・TVにも出演、カリスマミセスとの一面も見せています。
アイドルから自立する女性、そしてカリスマミセスへ。「九月の雨」でつらい失恋を味わう地方出身の「そばかすお嬢さん」を、彼女の人生に重ねてしまうのは、かなり乱暴な話なのですが、架空の彼女が今は太田裕美のように充実した幸せな人生を送っていて欲しいななどとつい思ってしまいます。
今回のProject Nedeshikoは、尾瀬の自然を満喫するとともに、東北最高峰燧ケ岳(ひうちがたけ)に挑み、Dr.Kの誕生日を祝いつつ、東北の復興を祈念するということでした。太田裕美ネタで盛り上がったことで、Dr.Kには良いバースデープレゼントになったのではないかと思います。また、プロジェクト名のNadeshikoの由来のなでしこジャパンも力強くロンドン五輪への道を切り拓いてくれました。私の周りでも、女性陣が活発に東北支援活動を推進しています。自立する女性が、東北再生のエンジンとなるような気がします。ということで、今回もMission Completed!!

2011年9月29日木曜日

Project Nadeshiko - 何故か、太田裕美

という訳で、何故か、太田裕美です。75年の暮れにリリースされた「木綿のハンカチーフ」は永遠の名曲として今でも世代を超えて歌い継がれています。地方から都会に出て来て都会色に染まっていく「僕」は、もう故郷での生活には戻れないと恋人への手紙に綴ります。故郷で僕の帰りを待つ彼女は、僕との別れを察して、最後の贈り物に木綿のハンカチーフをねだります。涙を拭う為に。時代は、オイルショックの影響で高度経済成長期が終焉を迎え、「モーレツからビューティフルへ」の転換期の真っ只中にありました。高度成長の残照と安定成長の薄暮の中で、社会も人の心も揺れ動いていた時代でした。そういう意味では、この曲は、松本隆・筒美京平の黄金コンビというよりは時代そのものが生み出した名曲といえるかもしれません。そういえば、「木綿のハンカチーフ」のオリコン1位を阻み続けた「およげ!たいやきくん」も企業戦士への癒しソングでした。従来の応援ソングからの転換も時代を象徴していました。そして、問題の「赤いハイヒール」(写真)です。「木綿のハンカチーフ」の大ヒットにつながるプチブレイク序曲だと記憶しておりましたが、日本レコード大賞をはじめとする歌謡史に絶大なる知識を有するN隊長の断言通り、順序が逆で「木綿のハンカチーフ」の半年後にリリースされていました。しかも、「木綿のハンカチーフ」と対をなす男女を入れ替えたストーリーでした。地方から出てきたおさげ髪のそばかすお嬢さんは、東京に着いてすぐに赤いハイヒールを買います。仕事はタイピスト。タイプを打つたびに夢を失っていくと呟きます。そして、一度履いたら死ぬまで踊り続けなくてはいけない「赤い靴」に悲鳴をあげ、救いを求めます。そんな彼女に、「僕」は、一緒に故郷に帰って緑の草原で裸足になろうと誘います。彼女は、僕のプロポーズに応じてくれるのでしょうか?含みを残したまま曲は終わっています。この結末は、1年後にリリースされた太田裕美の最後のヒット曲「九月の雨」で明らかにされています。東京に留まった彼女は、ある男性と恋に落ちます。彼は木綿のハンカチーフの「僕」なのかもしれません。しかし、恋は破局を迎えることになります。彼への電話の最中、彼の肩越しに微かに聴こえた女性の笑い声。彼女は思わず外に飛び出し、タクシーを停めます。そして、彼の住所をポツリと告げます。彼との思い出の公園通りで、彼女は、9月の冷たい雨に打たれて立ち尽くします。「季節に褪せない心があれば、人ってどんなに倖福(しあわせ)かしら」9月の雨が彼女の涙を優しく洗い流します。木綿のハンカチーフではひたすら伸びやかで温かみに溢れていた太田裕美の高音に、9月の雨では胸をえぐる様な哀愁を帯びた鋭さも加わっており、彼女自身の大人への成長を感じさせます。太田裕美22歳。歌手としての円熟期を迎えながら、その後は目立ったヒット曲に恵まれない時期が続き、5年後彼女は大きな決断を下すことになります。長くなってしまいましたので、彼女自身のストーリーについては、次の機会に。

2011年9月4日日曜日

ノルウェーの森

以前、尻切れ蜻蛉になってしまったテーマの続きです。原題はNorwegian Wood。この言葉は曲の中でこんな風に出てきます。「僕は彼女の部屋に誘われた。部屋の中はNorwegian Wood。僕らはワインを飲みながら、夜中の2時までしゃべっていた。彼女が「明日は仕事があるから」と先に寝てしまったので、僕は仕方なくバスタブで寝た。朝、目が覚めると僕は一人ぼっちだった。鳥は飛びたっていた。だから、僕は火をつけたんだ。Norwegian Wood。」Norwegian Woodを「ノルウェーの森」と訳すと随分幻想的な歌詞になりますが、ノルウェー材と訳すのが正解のようです。(邦題をつけた東芝EMI高嶋ディレクターも、誤訳であることを認め、最悪の訳だと語っています。)英国ではNorwegian Woodといえば、安アパートの松の木の内装を指します。ただ、「ノルウェーの材木」とか「安普請の内装の部屋」っていう邦題はさすがにつけられません。小説「ノルウェイの森」の作者村上春樹氏は「Knowing she would」(オレは彼女がヤらせてくれると知っていた)という言葉の語呂合わせで「Norwegian Wood」という題名がつけられたという説を紹介しています。これでは、折角のシタールの音色が台無しになってしまうお手軽な曲になってしまいます。村上春樹氏が小説のタイトルにするのを躊躇した原因かもしれません。ところで、写真は、映画化された「ノルウェイの森」が英国で公開された際のポスターです。英語タイトルの翻訳者は、ちょっと複雑な心境だったと思います。

2011年9月1日木曜日

新米 - 尻切れ蜻蛉 - ノルウェーの森

スマートフォンを持つようになってから、電車の中での読書量がめっきり減りました。また、そのスピードもすっかり遅くなってしまいました。言葉の意味や語源が気になると、ついついネットで検索してしまい、その度にスジを追い直す連続で、ちっとも読書に身が入りません。
今朝も、小説に「新前」の文字。新米の誤植だろうと思いながら調べてみると、「江戸時代、新しい奉公人は新しい前掛けをしているので、新前と呼ばれていたが、これが訛って『しんまい』となり、やがて新米の文字があてられることとなった。」なるほど。少し読み進むうちに、今度は「尻切れ蜻蛉」。普段からよく使っておりますが、語源は?再び読書中断。「鼻緒の先を蜻蛉の羽のように結んだ草履があり、とんぼ草履と呼ばれていた。その中でも踵の部分の無い足半(あしなか)という草履(写真)は尻切れ蜻蛉と呼ばれ、中途半端な様を尻切れ蜻蛉と呼ぶようになった」とても尤もらしいのですが、鼻緒の先を蜻蛉の羽のように結ぶというのがどうにもイメージ出来ませんし、草履を「物事が完結しない様」の例えに使うのはかなり無理があるのでは?ただ、文字通り「尻の切れた蜻蛉は飛べなくなってしまうので」というのも、残酷過ぎますね。などと考えていると、読書はそっちのけですっかり深みに。
昔から気になっていた「ビートルズの『ノルウェーの森』というタイトルは誤訳?」との問題。村上春樹の「ノルウェイの森」は、この音楽が飛行機のスピーカーから流れて、主人公が回想するシーンから始まります。小説全体がこの楽曲の旋律のようなどこかほの暗くウェットなトーンに包まれていて、秀逸なタイトルだと思っていましたが、作家自身は必ずしも気に入っていなかったようです。また、小説自体、ギリシャとイタリアという陽光溢れる南欧で、同じビートルズでも、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のテープを120回も聴きながら執筆したということで、イメージ的には対極です(「ノルウェーの森」はアルバム「ラバー・ソウル」に収録)。村上春樹の音楽に関する造詣の深さは、その作品の中でしばしば披露されていますが、「ノルウェーの森」についても、「このタイトルは誤訳であるという議論があるが、そのことについて書くと長くなってしまうので」と語っています。実際長くなってしまうので、この話題については次回に持ち越しということにします。

2011年8月27日土曜日

出会い - グラスとIn My Life

退職されるSさんの送別会。お花をあげるつもりでしたが、日頃使って頂けるものがいいと思い直して、デパートの食器売り場に。マグカップを探している最中にこのグラスに出会いました。なでしこを彫刻したグラスで、オンザロック用のオールドグラスと飲み口の広がったカップグラス(写真)の2タイプがあり、その名も「なでしこカップ」。底がほんのり撫子色に染まり、一目で魅せられてしまいました。女性にプレゼントするのはどうかなとかなり躊躇しましたが、結局は、この出会いを大事にしようと、群青色の包装紙に包んで、ピンクのリボンをかけてもらいました。Sさんとは30年近くお付合いさせて頂きましたが、考えてみると職場でご一緒したのは数年間で、残りの20余年間は、その時のご縁で年に数回楽しく会食させて頂く間柄でした。ビートルズの中期の楽曲に「In My Life」という人気の高い曲があります。「今まで様々な場所に行った。たくさんの友達や恋人と出会った。僕は時々そんな場所や友達のことを思い出す。彼らに対する愛情を失うことはない。でも、今は、君だけだ。これからの僕の人生で君をもっと愛していきたい。」といった内容の歌詞です。この歌詞はジョンが十代の頃を回想しながら書いた詩が原型になっているというだけあって、出だしは重厚で哲学的なのですが、最後は「I'll love you more.」とラブソングになってしまっています。ただ、このYouを、恋人の「君」ではなく、これまでの友達に対する「君達」という呼びかけだと解釈すると、とても奥深い歌になります。人生の様々な出会い、そして、出会った人々をもっと愛していこうという・・・。
Sさんからお礼のメールを頂きました。「頂いたグラスは大事に使います。グラスを使う度に、なでしこがW杯で優勝した2011年に退職したことを思い出します。」
♪ In my life, I'll love you more.