2013年6月9日日曜日

Oの悲劇

5月23日国立競技場。藤田俊哉送別試合。至福の時間でした。現役時代いつもTV画面のどこかに顔を見せていた俊哉が、現役さながらの運動量で走り回り、ウルトラマン並みに3分間限定でピッチに立ったゴンが、予告通り、俊哉にアシスト。(「俊哉にはいつもアシストしてもらっていたので、最後は俊哉のゴールをアシストしたい」試合前のインタビュー。)ハーフタイムのカズとのパス練習をはじめ、ゲーム中もカズにボールを集めるなど、妙にカズに気を使っていたヒデなど、見所満載の本当に楽しいゲームでした。その中でも、クライマックスは10数年ぶりのN-Box(名波を中心にMF5人がサイコロの5の目状に配置されたジュビロ磐田最盛期の布陣。週刊サッカーマガジンが名波のイニシャルから命名)。福西が名波を追い越し、俊哉が並走。福西の抜けたスペースを服部がカバー。名波を中心に幾何学模様を描くような見事な流動性は健在。もっとも、服部はかなり体が重そうでしたが。そして、寂しかったのは、N-Boxの一角の奥大介がいなかったこと。すね当てが出るほどソックスを下げて、チョコチョコ走り回っていた奥は、紳士の多いジュビロのプレーヤーの中で珍しいトラブルメーカーでした。レフリーに注意されてソックスを一旦は上げるものの、すぐにずり下がり、再度注意されては、レフリーに逆に食ってかかる。小柄で童顔の容貌も相まって、憎めないキャラクターでした。
その奥が今回の事件。残念です。サッカー選手のみならず、仕事と家庭を両立させなければならないのは、世の常。ただ、この2つは微妙な関係で、トレードオフの関係であったり、どちらかがうまくいかないと他方に連鎖したり。体調不良でサッカーの世界を離れざるをえなかった(FC横浜のテクニカルアドバイザーを辞任)奥の無念さは、推し量るだけでも胸が痛みます。だからこそ尚更家庭に安らぎを求めようとしたのでしょう。自らの存在価値を見つけようとしたのでしょう。その過剰な気持ちが悲劇につながったのかもしれません。
写真は、送別試合でスタンドに投げ入れられた紙吹雪替わりのサックスブルーのメタルテープです。新潟に反町姫から分けて頂きました。裏に俊哉の直筆で書かれていた文字は「サッカー楽しいです‼」あのドリームチームのメンバーには、いつまでも楽しさの連鎖を紡いでいて欲しかった。

2013年6月5日水曜日

余りに予定調和の結末 ‐ 豪州戦

いずれにせよ、W杯出場決定の歴史的ゲームになるだろうとの確信はありましたので、祝賀セレモニーが終わってからの遅い帰宅になることを覚悟していました。しかし、実際には、素直に喜ぶ気になれず、試合終了後早々とスタジアムを後にしました。浦和美園駅までの約20分間の道のりは、喜びに沸くサポーターは少なく、まるで山間の沢の流れのような静かな青い帯が小刻みに揺れているのみでした。評価しにくいゲームでした。前半見事なカウンターをし掛けていた豪州も、後半はピタッと脚が止まり、完全に日本ペース。それでもゴールを決め切れない日本は、DF栗原を投入し、スコアレスドロー狙いの3バック(?)へのシステム変更。ところが、攻撃的3-4-3が染み付いているチームはサイドが前掛かりになってしまい、豪州のラッキーな先取点の遠因を作ってしまいます。最後のPKは豪州戦アウェーでの不可解なPKの埋め合わせのようなサッカーの神様の采配。結果だけみると、日本がW杯への切符を手にし、豪州も勝ち点1の積上げにより望みを繋ぐという、双方にとって最低限の目標を達成した極めて予定調和的な結果となりました。5大会連続W杯出場というのは大変な偉業であり、素直に喜ぶべきでしょうが、代表選手達が「W杯優勝」を口にしている以上、サポーターとしても、安易な妥協は出来ません。アジア最終予選突破を通過点とするならば、最終ゴールの本戦での躍進は現時点ではかなり遠いと言わざるを得ません。このままでは世界と戦えません。ザックジャパン発足時は、守備が安定し、攻撃時の選手間の連携も躍動感が溢れていました。しかし、このところ、守備は厚みに欠け、攻撃も狭いスペースの突破にこだわり過ぎている感があり、「組織は出来上がった。次は個の成長」の呪縛に囚われ、肝心の連携を失いつつあるのではないかと危惧されます。成長の過程の踊り場状態といえるかもしれませんが、ここを乗り切り、確実な成長を実現できるのか、あるいは、このまま、組織崩壊の途を辿るのかは、まさに指揮官の手腕次第というべきでしょう。トルシエ、ジーコは失敗し、南アW杯時の岡田監督のみが結果を残しました。ザッケローニは、人柄的には極めて好感を持てるのですが、今回の豪州戦でのドタバタ采配をみると若干不安なしとはしません。スコアレスドロー狙いでDF栗原を投入したのは理に適っています。ただ、ここで、3バックにしたのか、長友を1列前に出して4バックを維持したのかの指示の不徹底がありました。また、終了間際にハーフナーを投入して豪州相手に空中戦を挑んだのは全く疑問。後半明らかに足の止まった豪州には、裏を取ってスピードで挑めるFWの投入が筋。ベンチに佐藤(広島)や石川(FC東京)がいたらと思いました。コンディションの整わない本田・岡崎を先発させたのも疑問。前半は守備重視で後半に勝負する展開でも良かったのでは。チームの建直しには、監督のマネジメントの他、ピッチ上の精神的支柱、流れを変えられる存在が必要です。個人的には遠藤にその役回りを担って欲しいのですが、どうも本田が自他ともに認めるピッチ上の指揮官になりそうです。確かに、はずせば大変なバッシングの標的になりかねない最後のPK(写真)を、ボールを抱えたまま誰にも譲る気配がなかった強靭な精神力は、リーダーの資質十分。ただ、イチかバチかのど真ん中シュートには危うさを感じます。キックスピードで勝負する為にどうしても力が入り、枠をはずすリスクも高まるわけですから。結果的に本田に救われたザッケローニとしては、「チームホンダ」の刷り込みが一層強くなったと思います。今後は、更に本田への依存が強まることでしょう。本田が本戦までの1年間で冷静さとしたたかさを如何に身に着けていくかに、ザックジャパンの命運がかかっているといっても過言ではないかもしれません。

2013年5月25日土曜日

色彩を持たない「つくる」

「1Q84 Book3」から丸3年。村上春樹作品は、読後、時が経つにつれ、徐々に結晶が生成され、ある日突然、思いもよらぬ造形に驚かされたりする楽しさがあります。ただ、「1Q84」だけは、教団「さきがけ」の教祖への嫌悪感が思考や感性にぴったりと蓋をして、どこにも行けないもどかしさを感じていました。そんな想いの中でのこの新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。今回はぴったりとはまってしまいました。「喪失」「孤独」「デタッチメント」「コミットメント」「啓示」「預言」「救済」「回復」「巡礼」。村上ワールドのキーワードが幾何学模様のように整然と並べられたこの作品は、ハルキストにとって、とても心地良く、身を委ね易いものでした。「シロ」はノルウェイの森の「直子」であり、「沙羅」は「レイコ」そのものではないか。それは、デジャヴというより、失われた恋人たちとの邂逅でした。新作は、「ノルウェイの森」の輪廻した姿であり、純化された結晶なのかもしれません。
それにしても、「何故、舞台が名古屋なのか?」素朴な疑問です。村上春樹は「名古屋は日本のガラパゴス」と称していたはずです。その特異な文化を必ずしも好意的には捉えていなかったと思います。舞台は、ストーリー展開からして地方の都市でなければなりません。神戸ではいけなかったのか、仙台ではいけなかったのか、長崎ではいけなかったのか。5人の高校生グループのうち「つくる」だけが東京に出ていきます。4人が地元に残り、地元でそれぞれの人生を歩みます。そして、ある日突然「つくる」はグループからの追放を宣告されます。それは、まさに楽園追放です。しかし、その楽園は、土地ではなく、仲間を意味します。この文脈から、舞台は、大学や産業において様々な選択肢を内包する自己完結的な都市で、特異性を持ちながらも、それ自体「楽園」ではあってはいけない一種無機質性を有する都市でなければならないわけです。なるほど、名古屋です。
村上春樹の作品のタイトルは、いずれも極めて暗示的且つ象徴的に作品を凝縮しているのですが、この作品の長いタイトルは、この作品のあらすじそのものでもあります。色彩(=自我、ポジショニング)を持たないことへの不安と苛立ち。青春時代の極彩色の彩りが否応もなくくすんでいかざるをえない生きるということ。逆に生を蝕んでいく色彩。それゆえの「つくる」という営み。「損なわれた」ものを辿り、再建していく為の巡礼の旅。
「失われたもの」「損なわれたもの」を取り戻すことは出来ません。「つくる」ことでしか先には進めません。

2013年5月6日月曜日

沈まぬ太陽 ‐ 祝!長嶋茂雄国民栄誉賞受賞

「4番サード長嶋」30年振りのアナウンスに胸が熱くなりました。TVにかじりついて長嶋の一挙手一投足に心躍らせ、銭湯では3番の下足札を奪い合い、雨でナイターが中止になった日には、溜息ばかり出て、宿題も手につかなかったあの頃。高度成長期の日本は長嶋とともにあり、長嶋は昭和の人々の生活と完全に同期していました。長嶋は太陽そのものであり。そのまばゆいばかりの光に勇気づけられ、そのほとばしる熱に活力を得て、みんながひたむきに生きていたあの頃でした。国民栄誉賞受賞は当然といえば当然であり、遅きに失した感があります。そんなヒーローも2004年に脳梗塞で倒れた後は、右半身の麻痺と言語障害の後遺症が残り、表舞台からは遠ざかっていました。授賞式でも、右手は終始ズボンのポケットに収められたままでしたし、始球式ではバットに添えることも出来ませんでした。右足を引きずるようにして歩む姿にはさすがにかつての躍動感はありませんでしたが、すっと背筋が伸びた打席での立ち姿には紛れもなくスーパースター長嶋のオーラが漂っていました。そして、左手1本で空振りした後の悔しがる表情はやっぱりミスター。沈まぬ太陽がそこにありました。大観客の前でスピーチを行い、バットスイングを出来るまでに回復した裏には、文字通り血のにじむようなリハビリを通じての壮絶な後遺症との闘いがあったとのことです。(脳梗塞で倒れた直後は、もう立つことも話すことも出来ないと医師に診断されていたそうです。)我らがヒーロー長嶋は、汗をほとばしらせて、まだ戦っている。そして、我々を励まし続けている。

2013年5月5日日曜日

Project KitKat 2 - 諏訪湖を渡る風

今回の花見旅行では片倉館に隣接する諏訪湖ホテルに泊まりました。早朝ホテルで自転車を借り、諏訪湖を時計と反対回りに1周してみました。16km、約1時間のサイクリングです。諏訪湖は諏訪市と岡谷市にまたがっています。諏訪市側の湖畔にはホテルや美術館など観光施設が軒を並べ、サイクリングロード沿いの桜並木(写真)もきれいに整備され、如何にも観光都市の趣きを湛えています。かたや岡谷市側は、工場や事務所が立ち並び、彩りが異なります。しかし、岡谷市は地方の産業都市のご多分に漏れず、景気低迷の中、工場閉鎖に伴う人口流出が進みつつあるとのことでした。そういえば、街並みもどことなく寂れ、灰色のシャッターがやけに目立っていたような気がします。私の親友の一人に岡谷市出身のE君がいます。自分の信念を貫く一方で、その信念にさえもいつも懐疑的なナイーブさを併せ持ち、急に激するかと思うと、情に極めて脆い愛すべき人物です。早朝の諏訪湖を渡る風は四月中旬だというのに身を切るように冷たく、手袋をしていても指先が凍えます。この清冽な諏訪湖の風が彼の人格を彫刻したのでしょう。

2013年5月3日金曜日

Project KitKat 2 - 桜、さくら、サクラ

しばらく時間がたってしまいましたが、今年は4月13日、14日に伊那、諏訪に花見に行ってきました。まずは高遠の桜。江戸時代は、高遠藩の馬場の桜で、馬が埋め尽くされるほど見事に咲き誇る姿は「天下第一の桜」と称されていました。桜の種類はコヒガンザクラで、ソメイヨシノより少し小ぶりですが、赤みのある薄紅色の花を咲かせます。城址公園内には1,500本以上の桜が咲き乱れ、雪を冠した中央アルプスを望んで桜を眺めたり(写真)、桜雲橋の欄干越しに桜を見下ろしたり、散策しながら桜を愛でることが出来る絶好の観桜名所でした。次に訪れた春日城跡公園は、滑り台で子供たちが遊んでいる横でビニールシートを敷いて大人たちが酒盛りをしているという遊園地型の花見スポット。桜越しに望む南アルプスと伊那市街の眺めは格別でした。六道の堤は高遠城址の近くにある農業用溜池です。池の真ん中には松の木が生えた島が浮かび、溜池を囲む堤には桜が植えられています。水面に映る桜の撮影に訪れる写真家も少なくないようですが、ゆっくりと花見を楽しむ穴場スポットでした。伊那公園に向かう途中に立ち寄った三峰川堤には、サイクリング・ジョギングコース沿いに3kmの桜並木が作られようとしていました。まだまばらな植樹状況で、桜名所入りはこれからというところでした。伊那公園は、まさに地元の花見スポット。宴会がよく似合うのどかな桜名所でした。
桜巡りの最後の締めは片倉館の千人風呂。片倉館は、諏訪湖畔上諏訪の地に建つ西洋建築の温泉大浴場で、国の重要文化財に指定されています。製糸業で財を成しシルクエンペラーと呼ばれていた片倉財閥が、昭和初期に福祉目的で建設した純洋風建築の公共温泉浴場です。諏訪に来たら欠かせません。 ローマ風のレリーフと彫像に囲まれた立ち風呂で、玉砂利を踏みしめながら桜名所を思い返しました。コヒガンザクラにソメイヨシノ。枝垂桜。花見散策に、宴会花見、ジョギング花見。まさに、多士済々の桜があり、百人百様の桜の楽しみ方がある。桜、さくら、サクラでした。そもそもProjectコードネームの命名は、WBC3連覇、ナデシコのアルガルベ杯優勝を前提に、サムライブルーのコンフェデレーション杯での活躍を祈念する「きっと勝つ」という願いを込めたものでした。しかし、結果はご存知の通り、WBCとアルガルベ杯では満開とはいきませんでした。しかし、美しいのは勝利のみではないことも確かでした。散り際の美しさも桜の見所のひとつであり、日本人の美意識の根源でもあります。

2013年3月31日日曜日

ヨルダン戦 - いくつかの疑問

前々回のブログで取り上げたVVVフェンローのカレン(写真)、フェンローとは今季限りとのこと。貴重なゲームを観ることが出来たのかもしれません。ところで、前回のブログのアムステルダムアリーナツアーで一緒だったデンマーク人の学生と駅への帰り道W杯予選について話をしました。「Danish Dynamiteはどんな具合?」「デンマークは、欧州予選で6チーム中5位で、とても厳しい状況。明日のチェコ戦で勝てなければもうノーチャンスだよ。しかも、アウェイの戦いだし、かなり難しいと思うよ。日本は?」「もしかしたら、来週、世界最速でW杯本戦出場権を獲得するかもしれない。」と多少得意気に答えたのは、今にして思えば、驕りがあったのだと思います。結果は、デンマークは敵地でチェコに3-0の快勝。他方、日本はヨルダンに1‐2のよもやの敗戦。サッカーに絶対とか、簡単な試合は無いということを思い知らされました。それにしても、納得のいかない敗戦でした。既に試合前に豪州vsオマーンが引き分けていただけに、引き分けでも予選突破が決まる試合。アウェイでの戦いでもあり、カウンター狙いの守備的布陣で臨んでも良かったのではないでしょうか。結果的にスコアレスドローで予選突破を決めれば、ミッション・コンプリートだし、逆に勝てる確率が高かったのではないかと思います。イタリア人の得意な戦い方だと思いますが、日本にすっかり同化しているザッケローニとしては、そのような戦い方を潔しとしなかったのでしょうか。攻撃的な布陣でした。トップ下に憲剛、サイドバックに駒野を入れていたら、随分守備は安定していたと思います。1失点目のCKでのマークのズレも問題ですが、ほとんどセンターラインからのドリブルからそのままゴールを許した2失点目はあり得ない失点でした。中央にヨルダンの選手は誰もおらず、1人の選手だけを止めればいいわけですから、ボールを失った酒井が内側に戻り、吉田が並走して、ハイエルを外側に追い出し、今野と内田がゴール前まで戻っていれば、何のことはない場面でした。ハイエルはメッシでもC.ロナウドでもないわけですから。代表にも心のスキがあったのでしょう。もう一つスルーできないのが、この場面、抜かれた吉田がそのままハイルの独走を許したのに対し、解説の松木さんが「ファウルで止めなきゃねぇ。失点するよりは、イエローカードをもらった方が、ずっといいわけですから」と堂々と述べていた。それを言っちゃオシマイですよ、松木さん。
色んな意味でかなり血圧の上がったヨルダン戦だったが、冷静になってみると、豪州・オマーンがそれぞれ勝ち点を分け合ったことで、得失点差を考えると、サッカーに絶対はないといいながら、日本の予選突破は、ほぼ間違いない状況。であれば、とにかく、自らのサッカーにこだわったザック采配もアリ?

2013年3月25日月曜日

No Ajax No Life

世界各国のプロサッカーリーグは、2強か3強の名門チームが常に優勝争いを繰り広げ、その他のチームが優勝することは滅多に無いというのが常態化しています。毎年優勝チームが変わる群雄割拠状態のJリーグの様な例は極めて珍しいようです。オランダのエールディビジもアヤックス、フェーエノールト(かつて小野伸二が在籍)、PSV(かつて朴智星が在籍)が3強を形成し、その中でもアムステルダムを本拠地とするアヤックスは、圧倒的な人気を博しています。アヤックスは欧州チャンピオンズリーグを4度制し、世界クラブチャンピオンにも輝いた強豪クラブですが、日本でマスコミに取り上げられることは滅多にありません。最近では、「東日本大震災直後にアヤックスが清水エスパルスをオランダに招待して慈善試合を行い、その収益金が義援金として寄付された」というニュースが報道されたくらいでしょうか。
日本とは全くというほど接点のないアヤックスですが、ヨハン・クライフが育ったクラブとして私にとっては特別な意味合いを有するクラブです。ヨハン・クライフは、1974年のドイツW杯で、「トータル・フットボール」という当時としては画期的な流動的ポジショニングのサッカーを展開し、優勝した西ドイツを凌ぐ衝撃を残したオランダ代表チームの象徴的なプレイヤーでした。当時のアヤックスにおいても、欧州CL3連覇の偉業を達成し、当時の背番号14はアヤックスの永久欠番となっています。
帰国便までの数時間、躊躇なく、空港から数10分の距離にあるアヤックスの本拠地アムステルダムアリーナに向かい、スタジアムツアーに参加してきました。約1時間のツアーガイド、ヤンは根っからのアヤックスファン。アヤックスにつき、熱く語ります。スタジアム自体は、収容人数5万3千人とビッグクラブとしては決して大きくない規模ですが、整備の行き届いたピッチといい、18分で開閉する屋根といい、クッションの効いたシートといい、全てに素晴らしいスタジアムでした。信じられないほどの急こう配の観客席は、最後列でも臨場感があり、また、ロイヤルボックスの豪華さは、これが欧州サッカーの楽しみ方かと納得させられました。いつもはツアーのクライマックスとなるはずの更衣室は、当日ツアー直前にファン・ペルシー(!)他のオランダ代表が練習の為に使用していた為、見学不可となってしまいました。「ファン・ペルシーはまだいるのか」「スナイデルは来たのか」としつこく食い下がるサウジアラビアからのツアー客に、スタジアムガイドのヤンは、苛つきながら、こう吐き捨てました。「オランダ代表の試合は嫌いだ。明日は女子供がいっぱいここにやって来て、アヤックスのライバルチームの選手を応援するんだ。判るかい。このアヤックスの本拠地で・・・・。耐えられないよ。」これが、欧州クラブサッカーサポーターの心意気です。

2013年3月21日木曜日

VVVの憂鬱

フェンローは、オランダの中部、ドイツとの国境付近に位置する人口9万人の小さな町です。特に観光スポットがあるわけでもなく、日本では全く知られていなかった町でした。しかし、5年前に本田が地元のサッカークラブVVVフェンローに移籍して以来、吉田麻也、カレン・ロバート、大津と日本人プレーヤーの在籍が続き、日本でも名前だけは聞くようになり、観戦目当てに町を訪れる日本人も少なくないようです。たまたま、電車で1時間強のところにあるエルストという田舎町に缶詰めになることになり、週末を利用して観戦に行って来ました。Jリーグと同じように試合開始2時間程前にはスタジアムまでの道にサポーターの列が出来、その流れに乗っていけば、スタジアムに行けるだろうとタカをくくって駅前のレストランで軽食を取っていたところ、閑散とした道路には全く変化なし。已む無く、道を聞きながら、約20分の道のりをスタジアムに向かうものの、レプリカユニフォームなどのサポーターの姿は皆無。それどころか氷点下ギリギリ、風の影響で更に寒く感じる屋外には人影さえまばらです。しかも、スタジアムの周りにチケット売り場はなく、スタジアムショップも閉まったままでした。そのスタジアムショップが開いたのは試合開始1時間前。チケットはどこで買うのかと聞くと、「ここだ」と答えて、レジの下から座席の配置図を取り出します。どうも年間シートの会員がほとんどで、当日券を買う観客は極く少数のようです。無事チケットを購入し、とりあえず、スタジアム内に入ろうとすると、まだ開場はしていないとのこと。ようやく入場開始したのは試合開始30分ほど前でした。小さな町ですからみんなゲーム開始時間に合わせて来場するということもあるでしょうが、スタジアムに隣接して小さなダイニング・バーがあって、試合開始までここで軽食を取ったり、飲んでいたりするようです。コーヒーで暖まりたいと思いましたが、「ここは会員だけ」と断られてしまいました。スタジアムは収容人数7,500人のこじんまりしたサッカー場です。日本でいえば、大きさといいレイアウトといい、ちょうど西が丘競技場といった感じです。ピッチもかなり荒れていて、至る所で芝生がはげたり、めくれあがっており、ここではパスサッカーは難しいだろうとの印象でした。案の定、ヘラクレス(かつて平山が在籍)との試合が始まると、両チームとも取り敢えずトップにボールを当てて、こぼれ球を拾いあうという展開。技術レベル的には高校サッカー県予選レベルといったところでしょうか。しかし、ボールへの寄せの速さと当りの強さは、迫力がありました。まさに、肉弾戦の様相で、日本代表の海外組の体幹の強さはこういった戦いの中で鍛えられるんだと改めて実感しました。サポーターも実戦派の集まりという感じで、黄色と黒のマフラー(写真は大津をデザインした特別バージョンのマフラー)は目立ちましたが、日本のようなレプリカユニ集団は無く、個々人でゲームを楽しんでいる雰囲気でした。ゴール裏のヘラクレスのサポーターは30名程度。フェンローサポーターとの区切りもなく、フェンローサポーターに囲まれながらも、男性サポーター独特の低音の地鳴りのようなチャントを繰り返していました。お目当ての大津は体調不良でベンチ外。カレンは、ワントップのポジションで頑張っていましたが、再三の決定機をはずして、後半途中で交替。隣のオバちゃんが「Go!Bobby!Go!」とかなり気合を入れて応援していました。西欧人受けする風貌もあり、人気は高いようでした。試合は、ヘラクレスのカウンターの前に、あっけなく2失点。逆に最後までヘラクレスのゴールを割ることが出来ず、0‐2の完敗でした。
VVVは現在オランダ1部リーグにあたるエールディビジで18チーム中17位と低迷しています。本田がいた頃は2部優勝で1部に復帰、吉田時代は12位と健闘していたのですが、ここ2年は17位、16位とかろうじて降格を免れている状況です。本田、吉田が結構高値で売れたにも拘わらず、そのお金を有効な補強に使えなかったのが、低迷の原因となっています。22時過ぎに試合が終わって、真っ暗な住宅街を駅に急ぐ道すがら、メンバーズルームのウェイターの言葉を思い出しました。「試合が終わったら、メンバー以外にも開放しているから、また、来るといい。日本人も時々来て、一緒にお酒を飲んでいるよ。」VVVのサポーター達は「ひどいゲームだった」と愚痴をこぼしながら、夜半過ぎまでビールを飲んでいるのだろう。そう思うと、負け試合を毎週末見せられるというVVVの憂鬱もまんざら捨てたものではないのかもしれません。敗因を肴に、いつもの仲間と週末の夜酒が飲める。それが、オランダの片田舎の弱小クラブ・サポーターの実はとても幸せなサッカーの楽しみ方なのかもしれません。

2013年3月18日月曜日

Destiny - フランクフルト空港での遭遇

理由(わけ)あってオランダに来ています。多少気の重い仕事です。ということで、オランダに向かう飛行機の中では、映画を楽しむことなく、英文資料を読むという羽目になってしまいました。乗継ぎのフランクフルト空港で、寝ぼけ眼(まなこ)で入国審査に並んでいると、隣の列に大きなマスクをつけた日本人男性がいました。顔半分がマスクで隠れていましたが、ちょっと薄茶色の瞳にはどこか見覚えが。まさかと思いつつ列を移って、マスクの男性に「失礼ですが、名波さんですか?」やや間があって、観念したように「はい、そうです。」そこで、「フランスW杯からのファンです。クロアチア戦に応援に行きました。もちろん、引退試合にも行きました。」と、畳み掛けて退路を防ぐことに成功。「今回はブンデスリーガ観戦ですか?」「いや、ミラノの長友に会いに」「怪我は大丈夫なんですかね?」「大丈夫みたいですよ」と、前振りが終わって、これからという時に、入国審査の係員が「Next!(っぽいドイツ語)」取り敢えず、名波さんを先に通して、入国審査が終わるのももどかしく、後を追って、何とかツーショットの写真を撮って頂くことができました。
ところが、モニターに写真を映し出してみると、名波の爽やかで精悍な顔の隣に、如何にも徹夜明けといった感じの、眼鏡がずり落ちて、怪しい笑顔のオジさんが・・・。憧れのレフティーに会えて、言葉を交わすことが出来ただけでも良しとしなければいけないのですが、折角ツーショットを撮らせてもらったのに、誰にも見せられないような写真とは、あまりに無念です。
松任谷由実の曲に「Destiny」という名曲があります。荒井由美ファンとしてはアルバム「14番目の月」までの感性あふれる曲に圧倒的に共感し、松任谷由実の曲には何か作られた人工的なものを感じてしまい、どうしても感情移入しにくいところがあります。しかし、この「Destiny」と「潮風にちぎれて」だけは、荒井由美本来の私小説的な香りを感じ、とても好きな曲です。2つとも失恋の曲で、歌詞に「サンダル」が出てくるのは、偶然の一致でしょうか。
ともあれ、乗継ぎまでの3時間、フランクフルト空港のコーヒーショップで、何度も写真を見直しながら、知らず知らずのうちに口ずさんでいました。「♪どうしてなの 今日に限って 安いサンダルをはいてた (今日わかった) むなしいこと 結ばれぬ 悲しいDestiny」