2012年8月27日月曜日

バンビの躍動 - ヤングなでしこスイス戦

U-20女子サッカーW杯日本開催。もともとウズべキスタンで開催される予定だったのが、施設が国際基準を満たしていないとの理由でウズベキスタンが失格となり、昨年末、急遽、日本開催が決定しました。そのせいもあって、事前告知が十分に行われず、また、五輪の影にも隠れて、いまひとつ盛上りに欠けています。グループステージの会場は、軒並みガラガラ。グループステージ突破が決まる今日の第3戦も、国立競技場での第1試合ブラジル対韓国戦は、第2試合目当ての日本人サポーターを含めて5,000人足らず。両国のサポーターはそれぞれ10名程度。優勝候補同士の戦いにも拘わらず、寂しい光景でした。試合は、圧倒的にブラジルペース。しかし、猛攻を繰り返したブラジルですが、韓国の赤い壁を最後まで破ることが出来ず、逆にカウンター2発に沈み、よもやのグループステージ敗退。
ヤングなでしこがスイスと対戦する第2試合は、さすがに観客が増え、約17,000人。それでも、国立の収容人数54,000人からすると3分の1以下。空席が目立ちます。せめて、決勝の舞台は、満員になって欲しいと願っています。
ヤングなでしこは、スイスは論外としても、韓国、ブラジルと比べても、テクニック・敏捷性・判断のスピード・運動量で図抜けています。ボランチ楢本光のテクニックとパスセンスは抜群。澤は安心して引退できます。ボンバー荒川以来の横山・道上・西川の力強いFW陣。高速ウインガー田中美奈。そして、何といっても、ポスト宮間のミラクルキッカー田中陽子。左右の脚でのFKからの直接ゴールというのはギネスブックものではないでしょうか。本当にタレントだらけの楽しいチームです。クリクリとした眼を輝かせ、躍動する姿は若鹿バンビ。準々決勝の相手は、相性の悪い難敵韓国です。同じ年代では2年前のU-17女子W杯決勝でPK戦の末苦杯を飲まされています。その雪辱戦ともなる1戦。今回は、成長したバンビ達が、赤い壁を軽々と跳躍してくれることでしょう。
冒頭に観客が少ないと書きましたが、さすがにそんなコアなゲームに集まる観客だけに、みんなサッカーを良く知っていました。ツボを押さえた拍手と歓声は、明らかにA代表戦以上。心地良い観戦となりました。更には、ブラジル・韓国戦の前に旭日旗を振っていた観客が退席を命じられたり、日本・スイス戦の終了間際に酔っ払いの小競り合いがあったり、かなりディープなサッカー観戦シーンがありました。日本のサッカー文化も成熟しつつあります。写真は、国歌演奏に胸に手をあてて眼を閉じるヤングなでしこ達。よく見ると、エスコートキッズの男の子まで眼を閉じているという微笑ましい光景です。)

2012年8月19日日曜日

旅の終り - その2 U-23篇

若きSamurai Blue、U-23はメダルに届きませんでした。もともと、U-20 W杯への出場を2回連続で逃した「谷底の世代」(2009年権田・村松・永井、2011年酒井(高)・宇佐美)で、しかも、本来、絶対的エースとなるべき香川を欠き、OAも最強の補強といえないメンバーでは、ベスト4は望みうる最高の結果だったと思います。非常によくやったと評価すべきでしょう。しかし、3位決定戦で敗れた相手が、U-20 W杯への出場をアジア予選で2度とも阻まれた韓国だったのは、残念でなりません。3位決定戦の戦い方にも、苦手意識が随所に見受けられました。そして、韓国は、日本を飲んでかかっていました。この大舞台での敗戦が、この世代のライバル韓国への苦手意識を助長しないことを願うばかりです。
グループステージから準々決勝エジプト戦までは、日本の飛び道具、永井、齋藤、大津がその威力を如何なく発揮しました。世界を驚愕させたといっていいかもしれません。また、その飛び道具の射手となっていた清武は、英国の目の肥えた観客からも大きな称賛を浴びていました。エジプト戦で永井が負傷したのは、メダルを狙う上で大きな痛手でしたが、むしろ、それ以上に、日本の速攻を封じられたのが、準決勝・3位決定戦の敗因でした。メキシコ・韓国ともに試合巧者。日本の良さを消してきました。世界での経験の差が出ました。終盤は、ゲームの流れを変えられないまま、なす術なく、敗れてしまいました。2試合ともに、流れを引き寄せるべく投入された宇佐美・杉本は、見せ場を作ることも出来ませんでした。世界の壁を実感したのではないでしょうか。特に宇佐美は「ガンバ大阪の最高傑作」と称され、名門バイエルンミュンヘンに入団した逸材ですが、ベンチにも入れず試合から遠ざかっているせいか、試合勘以上に、チームでのコンビネーションを欠いていました。悔しさは判りますが、暗い表情が気になります。女子W杯の時の永里(現姓・大儀見)が重なります。彼には、技術的向上よりも人間的成長が必要ではないでしょうか。
「今、一番何がしたいですか?」五輪から帰国した選手達へのお決まりの質問ですが、多くの選手が「焼肉を食べたい」「お寿司を食べたい」と答える中で、なでしこの岩渕だけが「練習!」と一言。決勝で、GKと1対1になりながら決めきれなかったシュートが余程悔しかったのでしょう。U-23 もベスト4という十分称賛に値する結果ではありますが、選手達には最後の2連敗で世界に撥ね返された悔しさのみが残った五輪だと思います。U-23の選手全員が、岩渕と同じ気持ちを抱いたとしたら、今後の日本サッカーにとって、銅メダル以上に価値ある敗戦になるかもしれません。(写真はグループステージ第3戦ホンジュラス戦)

2012年8月17日金曜日

旅の終り その1 なでしこ篇

なでしことU-23のウェンブリーへの旅が終わりました。なでしこは、決勝での惜敗に悔しさをにじませながらも、最後は弾けるような笑顔で銀メダルを掲げてくれました(写真)。一方、U-23は、スペインに歴史的勝利をあげながら、最後は2連敗でメダルを逃すという残念なフィナーレとなり、敗北感が残ってしまいました。しかしながら、両チームともに、よくやったと思います。正直、客観的に求めうる最良の結果を達成したと言ってよいのではないでしょうか。
なでしこは、W杯優勝チームとして大会に臨みましたが、普通でさえ大きな体格差がある上に、中2日で6試合という強硬日程(W杯は中3日)では、準決勝、決勝ともなると、どうしても生命線の運動量が落ちざるをえません。決勝での米国の2得点は、普段の状態のなでしこであれば、いずれも体を寄せて防げたゴールでした。オリンピックの夏開催、サッカー競技の中2日スケジュールが変更されない限り、運動量に頼る現在の日本サッカーでは、五輪で頂点に立つのは難しいと思います。厳しい日程に加え、各チームとも世界チャンピオンの日本をよく研究していました。各国が日本のサッカーをまねて、五輪でパスサッカーを標榜してくれれば、一日の長があるなでしこに金メダルの可能性ありと期待していましたが、各国が取った戦術は、そのパスサッカー封じでした。パスの出どころである宮間、澤を徹底的に潰し、一方で、早めに守備ブロックを固めて、バイタルエリアでのパススペースを消すというものでした。攻めは、なでしこの弱点である左サイドを崩しにかかってきました。鮫島のミスを狙い、そのカバーに川澄や宮間が追われ、本来、攻撃の軸となるべき左サイドが機能しませんでした。それでも、なでしこは、したたかでした。パスサッカーに拘ることなく、佐々木監督に「闘志の守備」と言わしめた泥臭い守備で相手のシュートを間一髪阻み、そこからの速攻での堅守速攻に徹しました。W杯でみせた華麗なサッカーではありませんでしたが、メダル獲得への執念をこめた別の意味で「なでしこらしい」美しいサッカーでした。準々決勝で敗れたブラジルの監督が「今日の試合のような守備的なサッカーを続けるならば、日本は優勝チームにふさわしくない」と批判していましたが、サッカーは技を競う競技ではなく、ましてや、五輪は勝利を目指す大会であるという言葉を返したいと思います。また、美しいサッカーには様々な形があると。
議論を呼んだ南ア戦での引分け狙いは、メダルへの執念の表れでした。グループステージ2位通過であれば、同じ会場で準々決勝を戦うことが出来、準決勝の会場ウェンブリーへの移動距離も少ないという1位通過よりも圧倒的に有利な条件を考えれば、2位狙いは当然のこと。しかも、引分け狙いというのは、一歩間違えれば、敗北のリスクを負うものであり、決して簡単なことではありません。引分け狙いという戦略は、決して非難されるべきものではありません。非難されるべきは、2位通過が1位通過よりも有利な条件となるという大会運営の不合理性でしょう。ただ、佐々木監督が試合後のインタビューで引分け狙いを明言し、途中投入した川澄にシュート封印を指示したと明かしたことには違和感を感じました。指揮官として口にすべきことではないのではないかと。その後、宮間が「南ア戦で全てを背負ってくれたノリさん(佐々木監督)の思いをムダにしたくなかった」と語っています。佐々木監督は、批判の矛先を自分に向け、選手を守る為に、あえて引分け狙いを自ら明言した訳です。マネジメントのあり方を考えさせられたエピソードでした。
決勝戦敗戦直後、宮間の泣きじゃくる姿は感動的でした。あれだけ力強く、また、冷静にチームを纏めてきていたキャプテンが、涙を止めることができずに泣き崩れている姿に、如何に金メダルへの執念が強かったか、また、キャプテンとしてのプレッシャーに耐えていたのかを感じました。そして、その宮間を抱きかかえるように寄り添っていたのは、佐々木監督でも、澤でも、川澄でもなく、大儀見でした。ドイツW杯で大儀見(当時永里)はチームの戦術に馴染めず、活躍出来ませんでした。W杯準々決勝ドイツ戦では、途中交替させられ、試合後はチームが勝利し、他のメンバーが喜び合う中、ひとり不甲斐ない出来に泣きじゃくっていました。その大儀見に寄り添っていたのが宮間でした。それから1年。一匹狼だった大儀見は、チームへの献身を覚え、前線からの守備を欠かさず、おとりになる動きを繰り出すなど、サッカーの幅を広げるとともに、人間的な成長を遂げました。だからこそ、真っ先に泣き崩れる宮間を抱き起こし、宮間も泣きじゃくったまま、大儀見に身を委ねたのです。それぞれの人間的成長とお互いへの信頼感が、この1年でなでしこが身につけた最大の強みだったのではないでしょうか。それが、全員で猛攻に耐えに耐え、最後は勝利を手にし、銀メダルを獲得した今回の戦いを支えたのです。
こんなエピソードがありました。W杯の後、チームに馴染めず悩んでいた永里に、メンタルアドバイザーの大儀見氏がかけた一言「口角を上げなさい」。この言葉で永里は変わりました(姓も大儀見に)。表彰台でのなでしこ達の笑顔は格別でしたが、中でも大儀見の笑顔(写真上段右端)は一段と輝いていました。

2012年8月5日日曜日

いざ、Wembley

サッカー日本代表、男女共に準決勝進出を決めました。いよいよサッカーの聖地ウェンブリー・スタジアムです。特に男子は、準々決勝の会場がオールド・トラフォード(マンチェスター・ユナイテッドのホーム)ですから、メダルに向けた夢のような滑走路です。2ゴール目を決めた吉田麻也の「(香川)真司より先ににここでゴールを決めたかった」というコメントは気が利いていました。ウェンブリー・スタジアムは1923年開場。従来、ツインタワーがシンボルでしたが、2007年に新スタジアムに改修され、現在は、スタジアム上部のアーチがシンボルとなっています。収容人数9万人はバルサのカンプ・ノウについでヨーロッパ第2位の大きさですが、屋根のついたスタジアムとしては世界最大です。サッカーの代表戦やFA杯決勝など主要なゲームにのみ使用される文字通りサッカーの聖地です。ちなみに、五輪バドミントンの会場となったアリーナは、サッカー・スタジアムに隣接しています。写真は、スタジアムの正面ゲート。手前の銅像はボビー・ムーアです。1966年イングランドW杯優勝時にキャプテンを務めた伝説的ディフェンダーです。同W杯ではMVPにも輝いています。
準々決勝、なでしこは、闘志の守備という和製カテナチオでブラジルの猛攻に耐え、一瞬の隙をついての必殺技で仕留めるという全盛期のアントニオ猪木を彷彿とさせる美しい勝利をおさめました。試合後、ブラジル代表監督は「今日のような(守備的な)プレーを続けるならば、日本は優勝候補にふさわしくない」との負け惜しみそのもののコメントを残していますが、ブラジル地元紙の「沢は機能したが、マルタは五輪で輝けなかった」との分析が正当な評価だと思います。
一方、男子のゲームは、オールド・トラフォードの目の肥えたファンを再三うならせた文句なしの快勝でした。男子チームの快進撃を支えているのが、4試合無失点の固い守備。前線からの組織だったプレスがその根幹となっていますが、吉田麻也が守備に安定感をもたらしているのは間違いありません。このまま無失点が続けば、自ずからメダルに手が届くことになりますし、その時は、ボビー・ムーアにあやかって、吉田がディフェンダーとしてMVPということでしょう(五輪では公式のMVPの選出はありません)。

2012年8月2日木曜日

ゴダィヴァ伝説 - コベントリーのブーイング

コベントリーです。ジャガーが本社を構える地方の工業都市。ベルギーの高級チョコレートのゴディバ(英語読みではゴダィヴァ)の名前とシンボルマークの由来となったゴダィヴァ夫人伝説発祥の地です。ゴダィヴァ夫人は11世紀に実在した伯爵夫人です。夫人は重税に苦しむ領民を憐れみ、重税の緩和を領主である夫に嘆願します。夫は、夫人が裸で馬に乗って町の端から端まで練り歩くことを減税の条件とします。領民達は夫人の慈悲に報いる為に、夫人が裸で馬乗りする日には家にこもって戸も窓も締め切り、夫人の裸を見ないように申し合わせます。しかし、仕立て屋のTomだけが禁を破って、夫人の一糸まとわぬ姿を覗き見してしまいます。これが、英語のPeeping Tomの語源となったということです。
ゴダィヴァ夫人の慈悲深さの伝統をひくコベントリー市民達のはずですが、日本対ホンジュラスの一戦については、かなり厳しい反応でした。試合会場は、市街地の北のはずれに位置するリコー・アリーナ。オリンピック期間中は、企業名を冠することが禁じられている為、シティ・オブ・コヴェントリー・スタジアムと呼ばれています。収容人数32,609人。平日夕刻にも拘わらず2万人を超える観客が詰めかけました。共にスペインを破った両チームの対戦。好ゲームを予想して駆けつけた地元サッカーファンの期待は、開始早々打ち砕かれました。互いに中盤でミスを繰り返し、攻め手を欠く退屈な試合展開。20分過ぎには試合に飽きてウェーブが起こる始末。清武・永井が投入され、リズムが一変した後半途中からは、日本のプレーに何度か歓声があがりましたが、終了間際の守備陣でのパス回しよる時間稼ぎには、手厳しいブーイングの嵐。技術の高いプレーへの拍手、審判の判定へのブーイングなど、さすがにサッカーを知っている観客が多くいました。
主力を休ませ、且つ、しっかりと1位通過を果たしてブラジルとの対戦は避けられるなど、関塚監督のゲームプランはぴたりと当りました。残念ながら控え組がフィットしないことが判ったのも怪我の功名。いよいよメダルに向けての今度こそ絶対に負けられない戦いが始まります。次はマンUの本拠地オールドトラフォード。再び関塚ジャパンがきらめきを取り戻し、目の肥えた観客に衝撃を与えてくれるものと信じています。

2012年8月1日水曜日

カーディフの苦悩 - なでしこ南ア戦

カーディフはロンドンから電車で約2時間、ウエールズの首都、人口30万人の地方都市です。街の中央にカーディフ城がそびえ、石造りの古い街並みが、さながら日本の城下町の落ち着いた佇まいを思い起こさせます。なでしこの試合会場は、駅から徒歩10分足らずのミレニアムスタジアム。収容人員74,500人。開閉式屋根の全天候型。ラグビーとサッカーの代表戦に使用されますが、メインはラグビーで、ラグビーの聖地として、サッカーの聖地ウェンブリーと並び称されています。素晴らしいスタジアムで、今やカーディフ城に代わる街のシンボルとなっています。
さて、なでしこ。極めて不甲斐ないゲームになってしまいました。チャンスをもらいながら、何も出来なかった丸山、岩渕、矢野などの控え組は、それ以上に悔しい思いをしていると思います。試合後の岩渕の悔しさを隠すかのようなほとんどふてくされている態度が象徴的でした。決勝までの6試合の中でこんな試合が出てきてしまうのは、やむを得ませんが、問題は、試合後の会見時の佐々木監督の発言です。インタビューの中で、佐々木監督は「ドローを狙える展開であれば、そういうことでいいと伝えた」とコメントしています。また、川澄投入時に「申し訳ないけどカットインの素晴らしいシュートはやめてくれ」と言ったと認めています。メダル獲得を考えると、2位通過は、対戦相手として米国、フランスを避けることに加え、移動せずに準々決勝に臨めるという大きなアドバンテージがあります。佐々木監督のみならずとも、2位通過狙いそのものは、指揮官として当然な選択肢です。ただ、問題はそれを公の場で口にしてしまったことです。「勝たない」という戦い方はFIFAのフェアプレーの精神に明らかに反しており、FIFAが問題視して何らかのペナルティが課される可能性があります。それ以上に、純粋にサッカーに全てを捧げているなでしこ達を、非難に晒すことになってしまいます。
佐々木監督のオープンで正直な性格には好感が持てますが、余りに不用意な発言でした。なでしこ達は、一旦は失望させてしまったカーディフの観客を、ブラジル戦、世界王者のパスサッカーで魅了することでしか、非難に答える術はありません。

2012年7月31日火曜日

ロンドン五輪異聞

ロンドンは快晴かと思ったら、シャワーの様な雨がザーッと降ったり、不順な天候です。オリンピックも不順。サッカーの優勝候補だったスペインがよもやの予選敗退をしてしまったり、団体体操で抗議の末の順位変動があったり。
スペインとの予選リーグ第一戦を観戦した人の話によると、スペインのサポーター達は、代表チームの余りの不甲斐なさに、日本戦の途中で席を立って帰ってしまったそうです。1-0で試合がどう動くか判らないのに、未練を残さずに席を立てるメンタリティは、さすがに世界王者のサポーター。サッカー文化という点では、まだまだ手が届きそうもありません。体操は、大変な話題となっています。銅メダルでも快挙なのに、一度は銀メダルとアナウンスされてしまったので、日本への恨みは拭い去れないようです。翌日のTVのインタビューで、選手達は「判定が変わったのは仕方が無い、メダルを取っただけでも凄いことで、満足している」と潔いのに、本来紳士的な大人の対応をすべきBBCのアナウンサーが、銀メダルを日本に奪われたと言わんばかりに「日本の抗議をどう思うか」「採点が覆るというのは信じられなかったのではないか」と執拗に食い下がっていました。日本サッカー代表の飛行機が、男子はビジネスクラスだったのに女子はエコノミークラスで、女性蔑視ではないかというのも、物議を醸しています。この問題でインタビューされたなでしこの沢選手が「私達はエコノミーが当り前だと思っているので、問題は全く無い。帰りは金メダルを取って、堂々とビジネスクラスで帰りたい」と答え、益々株を上げています。
写真は、ロンドンの欧州サッカーグッズ専門店Soccer SceneのマンUコーナーです。他の選手のレプリカユニが一緒くたに縦に吊り下げられているのに、香川のユニフォームだけが背番号が判る様に横に掛けられています。しかも、ホーム用とアウェイ用と2列に。この異常な期待は、想像を絶するプレッシャーとなって香川に襲いかかってくると思います。しかし、香川がプレッシャーをはね除け、オールドトラフォードのピッチで躍動する姿が五輪で芽生えかけた反日感情を一掃してくれるものと信じています。

2012年7月30日月曜日

グラスゴーからの「軌跡」-スペイン撃破

U-23日本代表がスペインを破った翌日、マスコミ各紙には、「グラスゴーの奇跡」との活字が躍っていました。1936年ベルリン五輪で優勝候補スウェーデンを破った「ベルリンの奇跡」、1968年メキシコ五輪で地元メキシコを破り、銅メダルに輝いた「アステカの奇跡」、1996年アトランタ五輪でブラジルを破った「マイアミの奇跡」、再びという訳です。今回の勝利は、ブラジルの猛攻に耐えに耐え、相手の連係ミスによるワンチャンスでの得点で勝利したマイアミと異なり、落ち着いた試合運びでゲームを支配しており(ボールは支配されましたが)、アステカでの勝利に近いものでした。むしろ、勝つべくして勝った感が強く、「グラスゴーの奇跡」と呼ぶのは、関塚ジャパンのメンバーには失礼だと思います。彼等は、人が本当によく動くいいサッカーをしていました。勝利の最大の要因は、とにかく運動量で勝ったこと。本来は、退場で1人を欠いたスペインが運動量で上回って、数的不利をカバーしなければならないところ、日本はそれを更に上回る運動量で対抗しました。永井や清武が最後まで裏への飛出しを執拗に繰返し、前線でのチェーシングを続けたことにより、スペインは、中盤・DFのラインの押上げに迫力を欠き、FWとの間が間延びし、得意のコンパクトな陣形からのコレクティブな攻めが出来ませんでした。もちろん、2人が決定機をはずしまくっていなければ、大勝もありえたのですが、あれだけ走り回っていては、ゴール前での精度を欠いてしまったのも已むをえないと思います。
この勝利で、スペインと同じレベルになったと喜ぶのは早計でしょう。スペインは、決勝までの6試合を見据えた上で、この試合はあくまで6分の1の位置づけ。かたや日本は決勝トーナメント進出の鍵を握る正に「この一戦」との位置づけ。必死さが違います。運動量に違いが出てきて当然でしょう。
かつて、アルマダの戦いでスペイン無敵艦隊を撃破した英国がその後スペインに代わって海洋覇権国家となりました。このグラスゴーの勝利が、日本サッカーの歴史的分水嶺となり、男子サッカーの世界での躍進のスタート地点になってくれればと思います。その時、「グラスゴーの奇跡」は「グラスゴーからの軌跡」となる訳です。

2012年7月15日日曜日

いよいよ五輪 ‐ 不揃いの日の丸

男女揃っての国内壮行試合を終え、いよいよロンドン五輪です。サッカーの試合は、日程の関係上、開会式前にグループリーグが開始されます。また、試合は英国各地で開催され、ロンドンの選手村に入る為には、準決勝まで勝ち上がらなければなりません。その意味で、サッカー日本代表はこれまで男女延べで11回オリンピックに出場していますが、選手村で五輪の気分を味わえたのは、わずかに銅メダルを獲得したメキシコ五輪と女子の北京五輪(4位)の2回だけということになります。
さて、7月11日の壮行試合。スタンドには、日の丸の人文字が。これがいまひとつ呼吸が合わず、写真のようにちょっと不揃いに。壮行試合の内容も、同じように不揃いの結果に終わってしまいました。
なでしこは、ほとんどU-20の豪州代表相手に、結果だけみると3‐0の快勝。しかし、1年前、世界を驚かせたあのW杯でのパスサッカーからすると、8割以下の出来でした。男子との練習試合を多く組んで、ダイレクトパスの精度を高め、パススピードを上げようとしている途上なのでしょう。パスミスが多く、コンビネーションにも難がありました。それでも、しっかりと圧勝してしまうのが、世界チャンピオンなでしこの強さなのでしょう。なでしこは、今、更なる高みを目指し、産みの苦しみの真っ只中にいます。なでしこのレベルアップへの挑戦がグループリーグでの戦いを通じて実を結んでいくのか、大きな見所です。澤が復活のゴールを決めたのは、吉兆です。澤を支えるボランチ阪口、そして、シンデレラガールの川澄は絶好調です。GK福元も安定感抜群。この4つの穂(穂希、夢穂、奈穂美、美穂)がなでしこに黄金の実りをもたらしてくれることを祈りたいと思います。
一方、U-23日本代表。ニュージーランド五輪代表に対して、恐らくこれまでで最高の出来のパフォーマンスを繰り広げてくれました。しかし、結果は1‐1の引分け。これがこのチームの現在の限界でもあります。香川か本田がいれば、決定力はかなり改善出来たことでしょう。遠藤か中村憲剛がいれば、一本調子に攻め急ぐ欠点もなくなっていたことでしょう。しかし、既にオーバーエイジも含めて選手選考が終了してしまった今や、詮無い話です。もはやこのメンバーで戦うしかありません。五輪での戦いは極めて厳しいものになるでしょうが、日本らしいサッカーを展開し、あわよくば、サプライズを起こしてもらいたいと願っています。不揃いの日の丸達に悔いなき戦いを。

2012年7月8日日曜日

Project千中(田酒)八策その2 ‐ 棟方志功の世界

八甲田山、酸ヶ湯温泉、青森の旅のレポート第2弾が随分遅くなってしまいました。雨の為、八甲田山登頂を断念して、青森市内に繰り出したものの、正味半日の日程。慌ただしく、青森駅近くのワ・ラッセ館で「ねぶた」の山車(写真)を見て、タクシーで棟方志功記念館に向かいました。棟方志功は、青森市の刀鍛冶職人の三男として生まれ、少年時代にゴッホの絵に出会い、画家を志します。20歳で上京し、帝展などに油絵を出品しますが、落選が続き、その失意の中から、版画に新境地を開きます。彼は、木の声を聴き、木の魂を生み出していくという意味で、自らの芸術を「板画」と称しています。版木に覆いかぶさり、自らの魂を刻みこむように彫刻刀を打ちこんでいる姿は、鬼気迫るものがあります。もともと幼少の頃から囲炉裏の煤で目を傷め、極度の近視だったのが、長じてから眼病を病み、晩年は、片目の視力をほぼ失った状態でした。緑内障で視力を失いながら、まるで抽象画のような睡蓮の絵を描いたモネに通じるものがあります。両方の作品に共通しているのは、理屈抜きに魂に語りかけてくるというところです。
棟方志功記念館では、広重の東海道五十三次に着想を得た東海道各地の板画の連作を見ることができました。故郷の富士(吉原宿)の板画の構図は、富士山を背景に五月晴れにたなびくコイノボリ。富士山には、月見草以上にコイノボリがよく似合います。
志功の絵の原点は、少年の頃の凧の絵付けにあります。原色のまま二度筆を使わずに描きます。油絵から版画に向かったのは、必然だったのかもしれません。そして、ねぶたも彼の作品の重要な要素となっています。彼自身「ねぶたの色こそ絶対まじりけのないわたくしの色彩であります」と言っています。
祭りのある町は、独特な彩りを湛えています。青森市もいい色をしています。吉田拓郎は、鹿児島生まれ・広島育ちで、青森には縁がありませんが、「旅の宿」のモデルが青森の蔦温泉(※)のせいもあり、「祭りのあと」の祭りも「ねぶた祭り」ではないかと言われています。いつかは、ねぶた祭りを観て、「祭りのあと」をくちずさんでみたいと思っております。(※「旅の宿」は作詞者の岡本おさみが新婚旅行に行った蔦温泉で曲想を得たとされています。)