2012年5月6日日曜日

カーネーション

「母の日を 待たず召されし 空は眩く」
母が逝去しました。享年84歳と天寿を全うした生涯でした。しかし、半生は病気との闘いで、天寿を全うできたのは、本人の愚直なまでの生きることへの努力と多くの方々の支えの賜物だったと思っています。最期も、危篤状態に陥ってから、半日頑張り続けました。心臓は、リズムを失いながらも早鐘のような鼓動を繰返し、人工呼吸マスクの中で、喘ぐように必死に酸素を吸い込もうとしている様は痛々しいものがありました。見るに見かねて、父は耳元で「よう頑張った。もう無理せんでいいよ」と繰り返していました。
母は、日本統治下の台湾で生まれ、海軍関係の技術者の娘として、比較的恵まれた少女時代を送っていましたが、敗戦により、全てを失い、着の身着のままで日本に引き揚げてきます。引揚げ直後に一家の大黒柱である父をも失い、家族7人のそれ以降の苦労は想像に難くありません。結婚後もいくつかの病や怪我に悩まされ、決して、平坦な人生ではありませんでした。しかし、そんな苦労が顔に表れない人でした。いつも穏やかな笑顔をたたえ、寡黙ではありましたが、何故か人から慕われる人でした。実直そのもので、最後までやり遂げなければ気が済まない性格でした。最後の最後まで頑張り抜いて、自らの生き方を貫き通した生涯でした。立派な一生であり、親孝行出来なかったことを悔いつつも、母はきっと幸せな生涯だったと振り返りながら、旅立っていったと信じています。
最近、「幸せは『なる』ものではなく、『気づく』もの」という言葉に出会いました。母を偲びつつ、改めてこの言葉を噛みしめています。

2012年4月21日土曜日

Johor Bahruにて - 15年の重み

1964年開場、1991年に観客席改修工事を行い、収容人数は15,000人から30,000人に。現在は、マレーシアサッカーリーグ2部ジョホールFAのホームスタジアム。傾いたコーナーフラッグ、止まったままの電光掲示板の時計、錆びついた観客席の椅子、青空を映す水たまり、荒れたピッチのあちこちに生える雑草・・・。唐突に芭蕉の句が浮かんできました。「夏草や 兵どもが 夢の跡」このLarkin Stadium(写真)で日本代表がW杯への扉を開いたのは、1997年11月16日のことでした。あれから15年。晴天の霹靂で代表監督に就任し、W杯初出場を成し遂げた岡田監督は、オシム監督のリリーフとして再登板し、南アで見事予選リーグ突破を果たしました。今は中国スーパーリーグで杭州を率いています。3アシストで勝利の立役者となった中田英寿は、本大会でも一人輝きを放ち、世界への階段を駆け上りました。引退後は世界中を旅しながら様々な慈善活動に携わり、東ハト執行役員、FIFA親善大使にも就任しています。2010年にはダボス会議のヤング・グローバル・リーダーズに選出されています。再三の決定機をふいにしながらも、最後は文字通り値千金のゴールデンゴールを決めた岡野雅行は、香港リーグを経て、今でもガイナーレ鳥取で髪をなびかせながらピッチを疾走しています。後半城彰二と共に投入された呂比須ワグナーは、ブラジルで指導者の道を歩み、昨年末ガンバ大阪の監督に就任する予定でブラジルから戻ったものの、ライセンス問題の為セホーン監督の下ヘッドコーチに就任。しかし、公式戦5連敗で解任。わずか3ヶ月の日本滞在後、傷心のブラジル帰国となりました。15年間に選手一人一人にそれぞれ様々な人生があり、様々な出来事があったことは、自らの15年間を振り返れば当然のことではあります。
スタンドを吹き抜ける湿っぽい風に乗って、FIFAのアンセムと山本浩アナの名調子が蘇ってきました。「スコールに洗われたジョホールバルのピッチの上に、フランスへの扉を開ける一本の鍵が隠されています。ラルキンスタジアムのこの芝の上で、日本代表はその鍵を、必ず見つけてくれるはずです。」(出張先で立ち寄ったスタジアム。外から写真を撮っていると、関係者らしき方が中に招き入れてくれました。「日本人にとってはW杯出場を決めたHistorical Placeだ」と説明しても、それがどうしたという感じでした。)

2012年4月16日月曜日

Project Whisky 2012

4月14日、韮崎は雨でした。2010年の雪の置賜(おきたま)桜街道をはじめ、ここ数年秘湯の会のお花見プロジェクトは天気に祟られます。今回のプロジェクト名Whiskyは「W(わにづか:王仁塚)の桜を愛で、H(ほうとう)を食しに、I(いろどりパノラマ号:お花見列車)で行く旅。併せて、S(しんでん:神田の大糸桜か、さねはら:眞原桜並木)からK(甲斐駒ケ岳)とY(八ヶ岳)を望む」という趣旨から命名しました。「熟成」した大人の旅を楽しむという想いもこめられています。「熟成」がキーワードです。還暦を越えたM会長を筆頭にN隊長、シェフパTも共に「知命」の年代に入り、文字通り、熟成の季節(とき)を過ごすメンバーです。
雨にも負けず、風にも負けないのが、大人の旅の基本。電車の窓を打つ雨をものともせず、朝からチーズ鱈をツマミにシーバースの水割りで、熟成の階段を登ります。ほろ酔い気分で雨傘越しに見上げる王仁塚の一本桜は、まだ八分咲き。小振りながらも濃いピンク色の花をぎっしりとつけていました。先週の春の嵐にも耐え、花散らしの雨にも負けず、濡れそぼりながらも、凛とそびえておりました(写真左下)。それにひきかえ軟弱な我々は、雨宿り先の神社の軒先で花見の宴を兼ねて昼食を取った後、花冷えを避けて早々に近くの白山温泉に退散。
弱アルカリ性美人の湯に身を浸し、体の隅々まで弛緩させ、まどろみながら、ふやけた脳で考えました。熟成は、自然の摂理に抗(あらが)い、耐えるところから始まります。この抗いがなければ、ただ朽ち果て、腐敗していくのみです。ただ、ある時から、それは、自然に身を任せ、一体化していくことで、熟成が進んでいくのではないかと。樹齢300年のエドヒガン桜が教えてくれます。辺り一面野原の中にこんもりと土盛りされた古代の墓標である王仁塚に、しっかりと根を張り、枝を広げた一本桜にとって、風雪は殊の外厳しいものです。しかし、その厳しさに耐えつつも、時には伸びすぎた枝を折り、早々と花を散らすことにより、年輪を重ねてきたのです。開花が多少遅れようが、花の色が多少褪せていようが、毎年、花をつけ、そして、散らしていく綿々とした営みが大事なのであり、風雪に抗い続けるのではなく、時にはそれを受入れ、それと一体化していくことが、熟成なのかなと・・・。我々、秘湯の会の面々は、今、「熟成」のどの辺りにいるのでしょうか。プロジェクト名後半のSKYは文字通り雨天の為、果たせなかったものの、それはそれ。「熟成」を考えさせられたことで、Mission Accomplished!!

2012年4月4日水曜日

セルジオ越後の辛口比較文化論

セルジオ越後、元プロサッカー選手、現「辛口」サッカー評論家。日系二世のブラジル人。18歳で名門コリンチャンスにテスト入団するも、23歳で一時現役引退。その後、当時社会人リーグ(JSL)に所属していた藤和不動産(現・湘南ベルマーレ)の誘いで来日。2年間の在籍期間で40試合出場6ゴール。引退後は、少年サッカー教室を全国各地で開催し、延べ50万人以上の少年少女を指導しています。4月2日、そのセルジオ越後のトークライブに参加してきました。テーマは写真の通り。相変わらずの辛口で、それぞれの日本代表を切り刻みます。まず、なでしこ。前日の米国戦を両チームともコンディションが悪く、お互いミスだらけの凡戦とバッサリ。米国のワンバックに至っては「体のキレを失い、『普通のオバサン』だった。」「なでしこはやはり沢の不在が大きい。代役の宮間は良かったが、左サイドでしか機能していない。中央でタメを作り、守備と攻撃のスイッチ役になっていた沢とはそこが違う。それに宮間の場合背が低い為守備に不安が残る。」U-23については、当然オーバーエイジ枠を使うべきだと。一押しは闘莉王。彼が入れば、怖い兄貴が来てチームに緊張感が生まれるし、競争意識を煽ることになる。ちなみに注目の香川は、「五輪とW杯予選両方への召集につき所属クラブの了承を得ることは難しいので、日本サッカー協会はW杯予選を優先するだろうから、五輪メンバーには選出されないだろう。」(サッカーキング岩本氏)ということです。そして、A代表(セルジオ的には「全日本」)。「強い相手とやっておらず、いきなり最終予選というのはかなり心配。遠藤が良くないが、その後継者が育っていない。遠藤が復調しないと、かなり危ない。」
といった具合に、面白いサッカー分析が聞けたのですが、それ以上に興味深かったのが、彼が語る日本社会批判。彼の批判の中心は日本の学歴重視社会とアマチュアリズム。「尾崎が三菱重工を辞めてドイツに渡ったのは、三菱重工サッカー部にいる限り、給料は大卒の補欠選手の方が上だったから。」「カズがブラジルで成功したのは、日本に帰っても高校中退では就職先がないので、必死だったから。」「日本人のアスリートには自営業の子供が多い。将来の職場が確保されている子供しか安心してスポーツに打ち込めない。」「関塚監督は何のノルマも課せられていない期間契約。報酬も安い代わりに責任もない。そもそも雇い主の日本サッカー協会がプロ意識に欠け、甘過ぎる。」等々。彼自身東京五輪のブラジル代表候補に選出されながら、五輪出場の栄誉を捨てて、プロ契約を締結。しかし、プロ選手でも金を稼げるのはごく一握りで、引退後の生活の保障がないことを知り、23歳で引退。藤和不動産のオファーを受けたのも、仕事を覚えながらサッカーが出来ると考えたからです。プロの厳しさを知っており、自らプロとアマチュアの間を行き来した経験から、日本の現在のプロ意識の低さ、甘さがもどかしく、我慢ならないのでしょう。そんな背景を念頭に置いて、彼の辛口解説を聞いてみると、また、味わいが変ってくるのではないでしょうか。

2012年4月2日月曜日

なでしこ桜五分咲き

写真は再来週お花見に行く予定の韮崎・王仁塚の一本桜です。毎日の開花状況を伝えるサイトから転用させて頂きました。まだ、固い蕾の状況ですが、ここ1週間で開花し、再来週はもう葉桜になっているのではないかと心配です。一方で、仙台で咲き誇ったなでしこ桜。またもや、米国と名勝負を繰り広げてくれました。この両チームの戦いは、本当に噛み合って、サッカーを堪能させてくれます。川澄ちゃんのあの浮き球のアシスト、メッシが入っていました。いくつかあったチャンスの一つを決めていたら、文句なしのヒロインだったんですが、まだまだ本調子ではないということでしょう。米国は、パスサッカーを意識していました。パス回しにぎこちなさはありましたが、なでしこのお家芸だったトラップしたボールを相手の反対側に置く技術を身につけつつあります。各国がW杯で世界に衝撃を与えたなでしこのパスサッカーを模して、サッカースタイルを変えてくれれば、本家なでしこの五輪での優勝確率はむしろ高まると考えていましたが、米国の進化のスピードは予想以上でした。中盤のパス交換でなでしこを引きつけておいて縦のロングフィードを通すような戦い方をされるとやっかいです。しかし、なでしこはそれ以上に進化していました。前への意識がチームに浸透し、美しさに危険な香りが加わって、本当にセクシーなチームになってきました。それでいて、まだまだ伸び代を感じさせ、五分咲きといったところでしょうか。仙台のサポーターに白星はプレゼント出来ませんでしたが、被災地に大きな勇気を与える堂々たる戦いぶりでした。そして、何よりもナイスゲームでした。

2012年3月26日月曜日

田中達也ストーリー

「達也引退」と言っても、我が家の愛車達也号(写真)の引退です。浦和の田中達也選手が代表デビューした当時に購入し、「達也号」と名付けました。本人同様小さな体で切れ味鋭く動きまわり、よく頑張ってくれましたが、終始、怪我(擦り傷、へこみ)に悩まされたのも本人譲り(?)でした。7年間の酷使で、さすがにガタがきたようなので、かなり気にいっていたのですが、買い替えることにしました。最初に乗った赤いシティ以来ホンダ製の車一筋でした。その中でも、このジャパン・ブルーのシビックは一番思い入れのある車でした。週末の富士へのラストランも良く走ってくれました。ホンダの国際戦略車だったシビックも、国内向け生産は既に2年前に終了し、38年間の歴史に幕を閉じています。我が家の愛車の引退も時代の流れと言えます。後継は、2012年代表ユニフォームカラー、ディープブルー(赤線は入っていません)の「(香川)真司号」となり、今週末納車の予定です。
さて、田中達也。大好きなプレーヤーです。山口県から名門帝京高校にサッカー留学し、入学当初は、周りの選手と自分の能力の差に絶望感を味わったと語っています。全国から集まったエリート集団の中で、小柄な体故に劣等感に苛まれたことは、想像に難くありません。しかし、彼は、得意なドリブルに活路を見出そうと日々ドリブルの練習に励み、2年時にレギュラーを獲得し、エースとして、チームを高校サッカー選手権準優勝に導いています。2001年浦和レッズ入団。2003年ナビスコ杯MVP、ニューヒーロー賞ダブル受賞。2004年アテネ五輪代表を経て2005年からA代表に召集、と順調すぎるステップアップでしたが、小柄なドリブラーの宿命で、ファウルを受けて負傷することも多く、2006年以降は怪我の治療などでシーズンの半分以上を欠場しています。期待されてのA代表デビューを考えると、国際Aマッチ16試合出場、3得点の記録は残念でなりません。メキシコ五輪当時の杉山隆一以来、好きなプレーヤーは、小柄でスピード豊かなウィンガータイプでした。吉原宏太、坂田大輔、石川直宏、佐藤寿人、田中達也・・・。消えていった日本代表スピードスターの系譜でもあります。そして、ダイナミックな攻撃が身上の浦和レッズでさえパスサッカーを志向し、コンパクトな守備が全盛の時代、ドリブラーが輝きにくい状況にあることも確かです。その中で、FC東京の石川が復活しつつあります。一人ワンツーのような球足の長いドリブルでピッチを切り裂く様は、デビュー当時からのファンとして爽快そのものです。田中達也にも輝きを取り戻して、代表に復帰し、石川とともに、後半25分のジョーカーとして活躍して欲しいと願っています。

2012年3月21日水曜日

I am the Walrus - サイケデリック・ロックの金字塔

The Beatlesの"I am the Walrus" はTV映画Magical Mystery Tourの挿入曲です。写真のように4人がセイウチなどの着ぐるみをまとって、野外で歌っています。Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandなど中期のBeatlesのアルバムにはサイケデリック・ロックとよばれる曲が多数含まれていますが、その中でもこの曲は特にサイケデリック色の強いナンバーです。ちなみに、サイケデリックとは、「LSDなどの覚醒剤によってもたらされる様々な幻覚、極彩色のぐるぐる渦巻くイメージやペーズリー模様によって特徴づけられる視覚・聴覚の感覚」の形容表現とのことです。その独特の浮遊感と超現実的な音作りを基調としたのがサイケデリック・ロックです。このI am the walrusは、メロディーもさることながら、歌詞も強烈です。冒頭の「♫I am he as you are he as you are me and we are all together. 」から既に幻覚症状。歌詞に出てくる"Eggman"はルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に出てくるハンプティ・ダンプティを連想させるので、タイトルのWalrus(セイウチ)も同作品に出てくる「セイウチと大工」からとられたものだとされています。また、「Goo Goo g' Joob」は「Good Job」とセイウチの鳴き声をかけたものと言われています。この辺りまでは、まだ、幻覚的とはいえ、作為性のある歌詞ではあります。2番の出だしの「Sitting on a cornflake, waiting for the van to come. 」は、面白い情景ですし、、3番の歌詞にある「Lucy in the Sky」はまさにご愛敬。まだ、正常な思考回路が残っている感があります。しかし、4番は、一転して書くもおぞましいグロテスクな歌詞となり、まさに幻覚・幻聴の世界。その意味ではサイケデリック・ロックの金字塔をなす作品かもしれません。ポールも、自伝『Many Years From Now』の中で、この曲をジョンの最高傑作の一つと称賛しています。5番は、「英国風の庭で太陽が昇ってくるのをまっている。太陽が昇ってこなければ、英国の雨に打たれて日焼けをすればいい。」ととても幻想的で情緒的な歌詞。個人的にはとても好きな情景描写です。エンディング付近は、イワシがエッフェル塔をよじ登ったり、ペンギンがヒンズー教の聖歌を歌ったり、エドガー・アラン・ポーが蹴飛ばされたりと、ナンセンス・フラッシュのオンパレード。確かにしらふでは書けない歌詞ではあります。
それにしても、終盤にグッとせり上がってくるような、押し寄せてくるようなリフレインは、この曲の真骨頂です。実は、この曲のレコーディングの数日前の1967年8月27日に、デビュー以来のマネージャーであったブライアン・エプスタインが死亡しています。この曲の圧倒的な迫力は、エプスタインに捧げる惜別の叫び故かもしれません。「♫ goo goo g'joob g'goo goo g'joob」

2012年3月15日木曜日

祝! ロンドン五輪出場決定

国立では日の丸の小旗が揺れていました。通常は入場の際に配布される青いボードを掲げて、スタンド全体を青く染めるのですが、今回の日の丸は、代表サポーターが用意し、配布したものでした(ちなみに、最近入場時に配布されるのは代表エンブレムの携帯クリーナー)。ゴール裏サポーター席で一斉に日の丸の小旗がうち振られる光景は、昭和の応援風景を彷彿とさせるものがありました。私がスタジアムでの代表応援デビューしたのは、36年前のことだったと思います。帰省先の富士から日の丸の旗を担いで、東海道線の鈍行で国立に向かいました。前々年に初めてライブ中継されたドイツW杯で聴いたチアホーンに模した自転車のクラクションホーンを片手に。モントリオール五輪予選でした。結果は、韓国に0-2の完敗。五輪への道を絶たれました。
さて、ロンドン五輪アジア予選最終戦。「もっと点が取れた」という不満の声もありましたが、五輪出場権獲得というゴールをしっかりと見据えた安定した戦いぶりだったと思います。前半は無理して最終ラインを押し上げず、ロングフィードを多用したセーフティな試合運び。危ない場面もありましたが、ボール保持率70%が示している様にゲームをしっかりと支配していました。後半の2ゴールは一気にトップギアにシフトしての得点。シュート自体もワールドクラスの素晴らしいものでしたが、じっくりと機をうかがっての計算ずくのゴールというところが評価されるべきでしょう。2点取った後は、
ギアを戻して、安全運転に。シリア戦の敗戦を経て、一回り成長した大人の戦いぶりでした。2000年のシドニー五輪以来、国立で五輪出場権獲得を見届けるのは4回目になりますが、この年代は、予選の戦いを通じて急速に逞しくなります。関塚監督が作り上げたこのチームの最大の強みは、その団結力にあります。個性が強く、個としてチームから浮いてもおかしくないキャラクターの原口や大津もしっかりと包み込むチームとしての包容力が強さの源泉となっています。五輪本戦では、この関塚ファミリーに、これまで召集していない海外組の香川、宇佐美、宮市らをどうフィットさせていくか、あるいは、長友、遠藤、本田らのオーバーエイジ枠を活用するのか、悩ましい問題ではあります。
試合終了間際に、アジア予選前半キャプテンとしてチームを牽引してきた山村をピッチに送り出したのは、関塚監督ならではの配慮でした。そして、試合終了後、権田が照れて逃げ回る山村をつかまえて、その左腕にキャプテンマークを巻くシーンが大型ビジョンに映し出されていました。昭和の学園ドラマのワンシーンのような光景に思わずホロリとしてしまいました。U-20 世界大会への出場を逃した「谷間の世代」ですが、更に強くなって、ロンドンで輝いて欲しい好感のもてるチームです。(写真は、試合前、大旗を振るサポーターをバックスタンドのトラック上に整列させ、代表にエールを送るという初めての試みのシーン)

2012年3月8日木曜日

アルガルベ杯決勝 ‐ 川澄ストーリー

アルガルべ杯決勝。準決勝米国戦は玄人好みの名勝負でしたが、決勝戦は、サッカーの面白さを満載した素晴らしいゲームでした。前半は、連戦の疲れからか、なでしこの動きが鈍く、間延びした布陣の間を突かれて、ドイツに押されっぱなし。大きく蹴り返しては、拾われ、波状攻撃を受けるという最も悪い流れで、2失点はやむを得ない展開でした。その流れを変えたのが、前半35分の川澄の冷静なゴール。この1点でなでしこは完全に落着きを取り戻しました。後半はなでしこペース。守備の底からショートパスでしっかりとビルドアップして攻め上がってくるなでしこに、今度はドイツが蹴り返すだけの展開になってしまいました。こうなれば、同点・逆転は時間の問題と思って観ていましたが、さすがに相手は追い詰められれば追い詰められる程底力を発揮するゲルマン魂のドイツでした。最後はミラクルゴールで突き放され、優勝には手が届かなかったものの、なでしこの進化を実感させてくれた大会でした。さて、反撃の狼煙をあげた川澄ちゃん。157cm、??kg。ドイツのDF陣とは20cm近い身長差。その体格差をもろともせずに、ドイツの重厚な守備陣をスピードとテクニックで切り裂きます。そのプレースタイルは、爽やかな笑顔とともに、とても好感が持てます。この試合右サイドバックで先発したDF有吉は日体大の2つ下の後輩。大学4年時、川澄は右膝前十字靱帯断裂の苦難を克服していますが、その2年後、有吉もまた左足前十字靱帯を断裂しました。その時、有吉のもとには1つの大きな段ボールが送られてきました。中には川澄自身が使っていたサポーターなどリハビリ用品と1冊の詩集。川澄がリハビリ中に読み、共感した詩を手書きでつづったものでした。有吉は「自分にも他人にも厳しい先輩だったけど、ナホさんがいたから私もがんばれた。今日は同じピッチに立ててうれしかった」と語っています。また、2点目を決めた田中選手とルームシェアしながら、慎ましい生活を送っていることは、有名です。昨年末表紙を飾ったanan(写真)で、W杯優勝で一変した現在の環境に先ずは感謝し、感謝の気持ちがパワーの源泉になっていると語っています。そして、インタビューの最後は「10円安い野菜を見つけてもすごく幸せになれるんで、『安い女だな』とも思うけど、それだけ幸せの数が多いから、本当に幸せな人間だと思います」という言葉で結ばれています。昨年のアルガルベ杯で代表初ゴールを含む2ゴールをあげ、代表定着を果たしたシンデレラガールが、今大会では、代表のエースとして活躍していました。小学校時代に沢の膝の上に乗せてもらって写真を撮って以来、沢に憧れてサッカーに打ち込んできた少女が、感謝パワーで沢不在の穴をしっかりと埋め、明日のなでしこの姿を示してくれました。

2012年3月6日火曜日

なでしこ米国戦 ‐ 平成名勝負数え唄

アルガルベ杯は、ポルトガル南部アルガルべ地方で毎年開催される女子サッカーの国際大会です。FIFAの管轄外大会ですが、女子サッカーでは五輪・W杯に次ぐ権威ある大会とされています。日本は昨年初参加し、グループリーグで米国に敗れ、決勝進出を果たせませんでした(3位決定戦でスウェーデンを破り、3位)。今年も決勝進出を賭け、同じく米国との因縁対決。W杯決勝で米国を破ったとはいえ、PK戦での勝利ですので、公式記録上は引分け。これまでの対戦結果は日本の0勝4分21敗ということになります。記録的には圧倒的に不利な相手に、体調不良の沢を欠く陣容。当然、前半は押し込まれ、守備に追われる展開を予想していましたが、なでしこは期待を大きく上回る成長を遂げていました。DFからしっかりとワンタッチのショートパスを繋いでビルドアップし、圧倒的にボールを保持ながら、ゲームをコントロールします。これに対して米国はロングフィードの大きな展開からパワーとスピードで日本の守備陣を切り裂き、日本ゴールを脅かします。お互いの持ち味を十分出し合った手に汗を握る好ゲーム。前半45分はあっという間に過ぎ去りました。後半も一進一退のゲーム展開に佐々木監督が動きます。後半20分に3人同時の選手交替。その大胆采配に一瞬唖然としましたが、FIFA公式試合ではないので、6人まで交替可と聞いて、納得。更にボランチ阪口に変えてFW菅沢投入。高瀬をFWからボランチに下ろすポジションチェンジ。1点リードのロスタイム終了間際には選手交替でしっかりと時間を稼ぐ冷静さ。米国相手の大勝負ながら、しっかりと選手を試し、フォーメーションを試す心憎い采配に、佐々木監督の更なる進化を感じました。相手にボールを回され、ボールを追いかける展開は、ボディブローの様に米国の選手から体力を奪います。後半途中から米国は完全に足が止まってきました。2列目以降の押上げが出来ず、折角サイドを崩しても中央に厚みを欠き、シュートに結びつきません。そして、高瀬のゴール。圧倒的に高さに勝る米国相手に、バックステップでマークを外すという技ありで空中戦を制してのヘディングシュート。見事でした。GKソロの反応も鈍く、GKまで足に来ていたようでした。
かつてのプロレス黄金期に「俺は藤波の噛ませ犬じゃない」との発言に端を発した藤波辰巳対長州力の一連の因縁対決があり、古舘伊知郎により「平成の名勝負数え唄」と命名されていました。剛対柔、パワー対テクニック。ロングフィード対ショートパス。コントラストに溢れ、サッカーの魅力満喫の米国対なでしこの対戦は、W杯ドイツ大会以降まさに「名勝負数え唄」に相応しいゲーム内容です。米国も雪辱を期して、ロンドンに乗り込んでくるはずです。五輪女子サッカー決勝で、両チームがどんな数え唄を奏でてくれるのか、期待せずにはいられません。