2009年1月20日火曜日

イエメン戦 - Rising Sun

イエメン戦、さすがに熊本は遠いので、久振りのサッカーTV観戦です。でも、地方都市での代表戦って、たまにはいいですね。観客席が本当に盛り上がっていて、映し出される観客席を観ているだけでその熱気が伝わり、ワクワクしてきます。若手中心のフレッシュ代表。第一印象はイエメンvsイケメン(?)っていう親父ギャグ。そして、達也と岡崎の髪型がヘン。似合わねぇ~。その二人の得点で辛くも勝利。とはいえ、楽しいサッカーを魅せてもらいました。特に岡崎の動きは出色。はずしまくっていましたが、期待させてくれるFWですね。絶頂期の大黒をベースに高原と播戸のスパイスをまぶした感じ。岡田ジャパンのFWの軸に育ちそうな予感。達也も良かったし、香川を加えた忍者トリオの攻撃陣というのは「あり」だと思います。それにしても、「つるべの動き」を死語にしてしまったウッチーと駒野の両翼同時の上がりは楽しかったですね。このアクション・サッカーが格上チーム相手にも出来るようになれば、まさに「Rising Sun, Japan」になるのですが・・・。
Rising Sunといえばクリム伊達公子。15年前の全豪でBest 4に入って「Rising Sun」と称されました。15年の時を経ても、ライジングショットは健在。今回の全豪で見事予選を突破し、本戦出場を果たしました。本戦は、初戦フルセットの熱戦の末、力尽き、残念ながら現役復帰後の4大大会での初勝利はなりませんでした。スーパーウーマンとはいえ、38歳の年齢には、連戦の疲労と体感温度40度の猛暑はさすがに過酷だったのだと思います。それにしても、立派。中年女性の星という意味でRising Starと呼んでは失礼でしょうか。いつかじっくり話を聞いてみたい人物です。そして、昔からじっくり話を聞いてみたいと思っていた米国の巨匠アンドリュー・ワイエス氏が1月16日享年91歳で永眠されました。昨年暮れに渋谷での個展を観ることが出来たこと(11月29日付Blog)に因縁を感じます。個展は現在国内を巡回中です。どこで開催されているのか調べて、もう一度是非観てみたいと思っています。ご冥福を祈り、合掌。

2009年1月12日月曜日

祝!広島皆実優勝 - 拓郎、おめでとう

高校サッカー決勝は、特別の日でもあります。1年に1度国立のメインスタンドからサッカーを観戦する日だからです。聖火台を頂いてせり上がるような傾斜に立ち見の観客までを飲み込んだバックスタンドを眺めながら観るサッカーはまた格別です。いつものバックスタンドからの眺めとは全く違う風景です。
波乱を予感させる霰まじりの雪の中、キックオフ。堅守の広島皆実がどこまで超高校級ストライカー大迫を押さえ込めるかが焦点というのが大方の見方でしたが、開始早々から広島皆実が攻勢に出て圧倒。攻めに攻めながら点が取れない中での、前半20分、大迫の個人技による先制点。これで、昨年の流通経済大柏「大前」ショーに続く「大迫」ショーの開幕かと思いましたが、直後に広島皆実の絵に描いたようなサイドアタックによる同点ゴール。後は、広島皆実のコンパクトな組織サッカーにことごとくセカンドボールを拾われて、鹿児島城西はロングボールを放り込むだけのサッカーに。ここで勝負ありでした。3点目の右サイドドリブル突破からのドンピシャクロスに象徴されるように、広島皆実の両サイドの攻撃は見事でした。決して個として秀でたスターはいませんでしたが、それぞれが組織を信頼してプレーしているだけにケレン味のない思い切りのいいプレーが光りました。コンパクトな陣形を最後まで保ち、サイドを有効に使ったパスサッカー。優勝に相応しい好チームでした。おめでとう、広島皆実。おめでとう、拓郎(吉田拓郎は同校OB)。
大迫は表彰式直後、準優勝の銀メダルをそそくさと首からはずしていました。悔しさを胸に、気持ちは既にアントラーズというところでしょうか。そういえば、観客席には鹿島グッズを身に着けた鹿サポが多く見受けられました。来期も鹿島は手強そうです。

2009年1月3日土曜日

サッカー王国、静岡


年末年始のサッカー観戦三昧の締めくくりは、等々力での藤枝東(静岡)vs境(鳥取)の高校サッカー2回戦(写真下)となりました。試合は4-0で藤枝東の快勝。境の監督の「ラインを上げろ~!下がるな!」という再三の叱咤も空しく、藤枝東の流れるようなパスワークの前に境のDFラインはズルズルと後退し、前線との距離は開くばかり。単発のロングパスに走りこむ境の超高校級ストライカー住田も、常に二人掛かりで挟み込む藤枝東の守備の前に決定機も作れぬまま、不発。サッカー王国静岡の復活を期待させる横綱相撲でした。しかし、その藤枝東も3回戦では熊本の大津高校に屈し、ベスト8進出ならず。スコアこそ3対2でしたが、大津高校のサイド攻撃と個人技に守備陣がズタズタに切り裂かれ、力負けの完敗でした。 (スピードについていけず、後ろからのチャージで2枚イエローをもらったのは、静岡勢としては屈辱だったはずです。)
昨年こそ決勝に進出したものの、静岡代表が高校サッカーで優勝したのは95年の鹿実との両校優勝が最後ですから、もう14年前ということになります。高校サッカーの都度使われる「サッカー王国静岡」のフレーズに違和感を覚える若手世代も少なくないと思います。「王国」はもう過去のものなのでしょうか?「全国で勝つより静岡を勝ち抜くことの方が難しい」という言葉は今や昔なのでしょうか?キック&ラッシュ全盛の高校サッカー界にドリブル突破という個人技サッカーを持込み、全国を驚かせた76年の静岡学園、長谷川・堀池・大榎の三羽ガラスがトータルフットボールで頂点を極めた82年の清水東など、静岡は常にそのスタイルで高校サッカーをリードしてきました。しかし、サッカー人気の浸透に伴い、全国の技術レベル・戦術レベルが向上してきた中で、王国静岡の優位性が薄れるとともに、フィジカル・走力よりも技術を優先してきた静岡のサッカーが、全国で勝ちにくくなってきたということなのでしょう。今年の藤枝東のコンパクトなパスサッカーも先進的なスタイルでしたが、守備面での個の力という点で弱点を有し、全国を勝ちきれるチームではありませんでした。高校サッカーを制する為にはやはり「負けない」チームであるという要素が必要です。野球で言えば、絶対的なエースを有し、守備がしっかりしたチームという当たり前の条件なのですが、サッカーでは、なかなかこのような見方はされません。特に静岡では、まず美しく華麗なサッカーが優先され、どうしても、泥臭い守備は後回しになってしまいます。王国であるが故の美学へのこだわりが、全国大会での勝ちから静岡代表を遠ざけているのかもしれません。でも、それでいいのではないかと思います。。高校サッカー選手権は、それが終着点ではなく、教育や成長の過程の中での通過点です。高校サッカーあるいはユースにおいては、試合での勝利よりも大事なものがあるのではないでしょうか(勿論、勝利への執着心を植えつけることは大事ですが)。その意味で、静岡サッカーは、このまま美しさを追い求めていって欲しいと思います。そうしている限り「サッカー王国静岡」であり続けるわけです。そして、それがひいては日本サッカーのレベルを押し上げ続けていくはずです。ちなみに、08年度J1登録選手のうち静岡出身者は東京都出身者をおさえて堂々の1位です。
静岡県の誇る富士山はその高さ以上にその美しさ故に人々の心をときめかせ、畏敬の念を惹き起こすのだと思います。(写真上は1月3日新富士駅のホームから撮影した富士山) 静岡サッカーよ、いつまでも美しくあれ。

2009年1月1日木曜日

謹賀新年 - Yes, we can.

明けましておめでとうございます。
今年も元旦の国立は快晴です。一足早い菜の花畑のように黄色一色に染まったアウェーサポーター席に"YES WE CAN"の人文字(写真)が浮かびあがり、天皇杯決勝の火蓋が切って落とされました。策士石崎監督は、フランサと李を温存して後半勝負というゲームプランでアジア王者ガンバに挑みます。迎え撃つ勝負師西野監督は、心配された遠藤・橋本・明神のベテラントリオを先発に並べながらも、ゲーム途中での離脱に備えて交替カードを最後まで控える慎重な采配。仕掛ける柏に、受けて立つガンバ、という前半の展開で、再三柏が好機を作ります。ガンバ藤ヶ谷の再三の好セーブが柏の「We can」の夢を弾き返します。前半を終わって0-0のスコアは両チームにとって予定通りだったと思います。ここで両監督が動きます。柏はプラン通りフランサを投入。一方、ガンバは遠藤をトップ下からボランチに下げて、メンバー交替無しでリズムを変えます。遠藤が中盤の底からボールを散らすことでガンバが徐々にゲームを支配し始めます。フランサの絶妙なヒールパスは魅せてくれましたが、前半安田を押し込んでいた太田をベンチに下げてしまったことで、柏のサイドからの攻めのパターンが失われ、流れは明らかにガンバに傾きました。それにしても、怪我の為明らかに本調子でない遠藤はさすがでした。前線から駆け戻ってフランサのシュートに体を投げ出した執念と播戸のゴールを演出した研ぎ澄まされた勝負勘はJリーグ現役選手の中では図抜けたものがあります。W杯やクラブ選手権という世界の舞台で輝かせたい選手です。
柏の「Yes we can」はガンバの執念にはね返されましたが、今年は正に「Yes we can」の年になると思います。世界恐慌により、90年代を引きずった多くのバブリーな価値観が消滅し、今、世界は新たな価値観に裏打ちされた新たな社会を創造出来るかどうかが問われています。それは「再生」ではなく、「創造」なのです。「Yes we can」という信念をもって立ち向かわなければ絶対に達成出来ないテーマです。2009年が終焉の始まりではなく、新たなる時代の幕開けの年となることを信じつつ、謹賀新年。

2008年12月30日火曜日

サッカー観戦納め


今年のサッカー観戦は、マンU対ガンバのスターウォーズ級のスペクタクルな一戦で、 観戦納めをするつもりでしたが、その余韻に誘われて、ガンバを観に国立に来てしまいました。クラブW杯の3戦で体力を使い果たしているはずのガンバを駆り立てているのは、来年またアジアを制し、クラブW杯への出場を果たしたいという執念だけです。コンディションは明らかにマリノスが上。押され続ける中で、何とかゲームを作っていたのは、明神の絶妙なカバーリングと遠藤の「タメ」(写真下)。遠藤の右足首は相当悪かったのでしょう。運動量が極端に少なかったのは、疲れのせいだけではありませんでした。結局、90分持たず。後半途中での遠藤の交替は、即ガンバの敗戦を予感させるものでしたが、遠藤に代わって投入された倉田の無鉄砲ともいうべき動きで、流れが逆にガンバに傾いたのは皮肉でした。最後はクラブW杯のラッキーボーイ山崎の一撃で決まり。(これだけ決定力のある選手は代表に呼んでもいいのでは?岡崎とかぶってしまいますが)「勝ちたいという気持ちが強い方が勝つ」という最近流行りのフレーズ通りの精神力の勝利でした。今年の観戦納めに相応しい鬼気迫るナイスゲームで、足がつりながらも最後まで走り続けた両チームの選手たちに感謝したいと思います。
それにしても、薄暮の国立(写真上)はとてもきれいでした。 元旦は、柏vsガンバの対戦。国立のバックスタンドから、正月ならではの澄み渡った空気の向こうにそびえるドコモビルを眺めながら、ガンバの執念を後押しするつもりです。
皆様も良いお年をお迎え下さい。

2008年12月24日水曜日

Merry X’mas! - 家族愛

今日はクリスマス・イブです。ケーキ、プレゼント、クリスマスソング、デコレーション(ツリー・イルミネーション)といったお祭りの要素がてんこ盛りのクリスマスというイベントは、お祭り好きの日本人にピッタリなのかもしれません。最近は、2人きりのクリスマス流行(ばやり)で、TVでもロマンチックなクリスマスソングで盛んに煽り立てています。家族揃ってクリスマスを祝うという本来のイベントの意味合いが失われてしまいつつあり、残念です。
家族というのは不思議です。特に血の繫がりで結ばれた親子間の愛というのは、理屈の無い、無条件の愛。その意味では、むしろ恋人や夫婦間の愛というのは随分難しい愛の形なのかもしれません。家族愛という暖かい火を灯して、食卓を囲むイベントが年に数回あってもいいのかなと思います。昭和30年代には日常当たり前のようにあった光景ですが、最近では、意識して受け継いでいかないと、絶滅してしまいそうな希少風景になりつつあるようです。何とかこれを守っていくことが、昭和30年代生まれの世代の責務かもしれません。
写真は、本当に素晴らしい自然な笑顔の名波です。J1入替第2戦を観戦した反町姫から頂きました。笑顔の先には愛娘のゆずちゃんがいるそうです。この笑顔を、クリスマスプレゼントとして、Blogをお読み頂いている皆さんに贈りたいと思います。Merry Christmas!

2008年12月20日土曜日

マンU劇場

クラブW杯のチケットはあきらめていましたが、縁あって準決勝2試合を観戦することができました。リガ・デ・キトvsパチューカは雨中の国立(写真下)。滑るピッチに拘わらず律儀にショートパスをつなぐパチューカは、キトの教科書通りのカウンターの前に粉砕。チーム戦術というものは、そう簡単に変えられるものではありません。ましてや、クラブW杯という晴れの舞台。自分たちのサッカーを貫き通さざるを得なかったのでしょう。雨の中、ジュビロのポンチョで雨を凌ぎながら、眼鏡の曇りと皮靴の底から浸み込んでくる雨の冷たさと戦いつつ、敗れたとはいえメキシコサッカーを楽しませて頂きました。
マンU対ガンバ戦は、うって変わっての絶好のコンデション。新聞紙上では、ガンバ圧倒的不利の予想の中「西野監督マイアミの奇跡再現」の文字が踊りました。ただ、西野監督に とって「マイアミの奇跡」はむしろトラウマ。如何に勝利の為とはいえ、もう2度とあの専守防衛の戦術は取りたくないと思っていたに違いありません。期待通り、ガンバは自分たちのサッカー、攻めの姿勢を貫きました。その結果としての3得点、そして、あってはならない5失点。これが世界との差なのでしょう。選手個々のスピード、テクニックの差は歴然としていました。それでも、まがりなりにも「いいゲーム」が出来たのが11人のチームゲームの面白さです。本当に楽しめた面白い試合でした。多少不謹慎かもしれませんが、全盛期のプロレスのようなゲームでした。ロナウドのFKあり、遠藤のコロコロPKあり、ファンデルサールのスーパーセーブあり、ルーニーの電光石火の2連続ゴールと、全てが詰め込まれ、最後は予定調和という、ショーとして観た場合、完璧なゲーム。こんな面白い試合は、サッカー漫画でさえ描けるものではありません。これが、もし、開始早々の播戸のシュートが決まって、ガンバが先制していたら、全く違った面白みの無い展開になっていたかもしれません。だから。サッカーは面白い。

2008年12月15日月曜日

ジュビロ復活へ

入替え戦第2戦、新潟から磐田に駆けつけた反町姫から写真を送って頂きました。名波の選手としての最後の写真です。試合中はベンチからオフト以上に声を出して、まるでコーチのようだったそうです。
ジュビロは何とかJ1に踏み止まりましたが、才能ある選手を有しながらも個々の個人技に頼った統一感の無いゲーム運びという基本的問題点を解決しない限りは、常勝ジュビロの復活はあり得ません。オフトは、J1残留という明確な意思統一の下、役割分担をはっきりさせ、守備重視という面白みのないサッカーで、ともかくも、ミッションを達成しました。復活を託すのはどうも柳下監督となりそうですが、まずはチームとしての一体感を取り戻すのが最優先課題。その為に高原・藤田・服部には戻ってきてもらうべきでは?(そもそも、タカや俊哉には赤のユニは似合いません。)時計の針を戻すようですが、ジュビロのDNAを引継いでいく為には、まずは、その真髄を若手に肌で感じさせることが必要だと思います。

2008年12月14日日曜日

ジュビロJ1残留

ポスト名波(?)の松浦選手の2試合3ゴールの活躍でジュビロがからくもJ1残留を決めました。それにしても、第2戦ロスタイムに入ってからの仙台の気迫のこもった攻撃は見事でした。ジュビロにちょっとしたツキがなかったら、2-2のドローで仙台のJ1昇格という劇的な幕切れを迎えていたかもしれません。ベンチにはオフト。ドーハの悲劇の再現が起こっていたかもしれません。それにしても、2枚の交替カードを残しながら、終盤に何の手も打たなかったオフトの采配は疑問です。連携を崩したくなかったのでしょうが、交替で時間を稼ぐことは当然行うべきでしたし、名波あるいはゴンといったベテランを投入して、チームと試合の流れを落ち着かせて、仙台の勢いを止めるべきでした。肝心のところで固まってしまうこの監督の限界を見る思いでした。(もともと選手交替を行わない頑固な監督ではありますが・・・。)ただ、「J1残留が自分のミッション」と潔く退任を申し出た態度は立派。ジュビロはしっかりと長期的視野を持ってパスサッカーのジュビロというチームを再建出来る監督を起用し、来期に臨んで欲しいものです。 (反町監督が湘南に行ってしまったのは残念です。)
写真は、ヤマハスタジアムの向かいのアパートのベランダに飾られた名波とゴンのユニフォームです。駅からスタジアムに向かう途中の住宅街でも、普通の家の軒先に大きなチームフラッグが当然のことのようにはためいているのは、この町ならではの風景です。こんな暖かな町でジュビロというチームが育まれ、泥臭いだけのFWゴンが日本代表FWに駆け上がり、あの魅惑的なN-Boxが生まれました。愛すべき選手たちと愛すべきチームという伝統がこれからもしっかりと受け継がれていくことを祈るのみです。

2008年12月7日日曜日

名波~、ありがと~う!








2008年12月6日(土)、ヤマハスタジアムは空までが淡いサックスブルーに染まり、名波を見送るのに相応しい天気となりました。ベンチスタートの名波は、先発組の練習が終わった後、名波との残り少ない時間を惜しむようになかなかピッチから引き上げようとしないゴンや西に左足からのクロスをあげ続けていました。独特の柔らかな軌道を描くクロスボールにゴンがヘッドで飛び込み、西が右足を伸ばします。少しずつイメージと異なるボールコントロールに名波が首を振ります。あのピンポイントのキックは戻ってきません。きっと、右膝は、キックのたびに悲鳴をあげているのでしょう。でも、あの左側にやや傾いたキックフォームは少しも変わっていません(写真上)。このフォームからどれだけのファンタジーとマジックを見せてくれたことか。スタンドの手すり越しに引き上げてくる名波に声をかけました。「名波~、ありがと~う!」いつものはにかむような笑顔でちらっと反応してくれました。はるばる磐田にまで駆けつけた甲斐がありました。
J1最終節の結果は、ご存知の通りです。気持ちよく残留を決めていたら、名波の引退式も随分雰囲気の異なるものになったと思いますが、少しずつツキのない名波らしいといえば名波らしい舞台演出となってしまいました。
スクリーンに映し出されたかつてジュビロで一時代を築いた仲間たちからのビデオメッセージは、全盛期のジュビロの強さがその一体感にあったことを実感させるものでした。大岩・俊哉・服部・高原・福西、その全てのメッセージは、名波への愛情、そして、あの頃のジュビロへの深い愛着に溢れていました。あの頃のジュビロは強かったし、本当に愛すべき素晴らしいチームでした。名波という本当に愛すべき選手がその中心にいたからこそ出来上がったチームだったのだと思います。稀有なチームでした。あんなチームはもう出てこないでしょう。引退式の圧巻は、ゴンとの文字通り「熱い」抱擁でした。(写真下。背番号7のユニフォームがゴン。この後、選手全員のサインがされたこのユニフォームがゴンから名波に贈られました。)
名波はある雑誌のインタビューで自分のことを左足しか使えない不器用な「昭和のレフティ」と揶揄しています。実際に活躍したのは平成であり、必ずしも正確な表現ではありませんが、名波らしい言い回しです。確実にひとつの時代が終わりました。その時代をライブで体験できたのは本当に幸せでした。「名波~、ありがと~う!」