台風の合間、奇跡的な晴天に恵まれた3日間。もう一つ「あの時代」が積み重なって、Project Mission Complete!
2014年10月12日日曜日
Project Ya Ya あの時代を忘れない
2014年8月3日日曜日
ブラジルW杯 - チームの崩壊
初戦の逆転負け(写真)、2戦目の引分け、3戦目の1-4の大敗。ドイツW杯のあの苦い記憶をなぞるようでした。いずれもチームとして崩壊し、立て直すことが出来ませんでした。両チームに共通するのは、史上最強の日本代表と期待されていたこと、直前の強化試合でいい成績をあげていたこと、攻撃型のチームであったこと。前のめりのチームは、ちょっとした躓きでバランスを失い、重心を取り戻すことが出来ませんでした。今回のチームの場合、本来攻守のバランサーとなり、また、チームに落着きを取り戻させる役回りのキャプテン長谷部の体調が万全ではなく、十分機能しなかったのも、チーム崩壊の一因となりました。しかし、大きかったのは、「自分たちのサッカー」の呪縛がDF陣と攻撃陣のギャップを生みだした点だと思います。そもそも、自信喪失気味のDF陣にとって、攻撃的「自分たちのサッカー」ほど厄介なものはなかったのでは。また、もともと、戦術の柔軟性が欠け気味な日本代表にとって、「自分たちのサッカー」はある種の免罪符になってしまいました。一つの戦術への固執は、真面目な日本人にとって、極めて受け入れ易い反面、そこでいきづまるとパニックになって
日本代表アギーレ新監督は、日刊スポーツによ ると「堅守速攻の戦術をベースにしながら、ボールを キープしてパスをつなぐポゼッション・サッカーを織り交ぜるなど 、柔軟な戦術を用いる。選手の特性を引き出し、自分のスタイルを 貫くより、持ち駒の能力を最大限に引き出す能力にたけた知将」とのことです。これがその通りであれば、適任な人材なのですが、その柔軟性 を教え込む為には感性よりも理論や哲学の方が日本人に訴求するの ではないかと思うのです。「いい加減さ」を感覚的にいい加減に説 かれても、日本人の心には響かない。ここは、ラテン系よりは、ゲルマン系の方がと思ってしまうのは、贅沢でしょうか。
2014年7月27日日曜日
ブラジルW杯 - 勝つ戦術の欠如
前回のブログでは、日本代表惨敗の原因に「世界のサッカーの進化から取り残されたアジア」を挙げましたが、今回は、「自分のサッカー」に拘ったあまりに勝つ戦術を欠いていたのではないかという点を考えてみたいと思います。
コートジボアール戦では、個人的に50本の日の丸ハチマキを持ち込んで、周りのブラジル人観客(写真)に配りました。にわか日本サポーターになってもらい、試合後は、日本のサッカーに魅了されて本当の日本サッカーファンになって欲しいと願っていました。「自分たちのサッカー」では玉砕だろうと覚悟していながらも、若干の期待は抱いていました。しかし、結果的には、「自分たちのサッカー」の片鱗も見せることなく、敗戦。高い位置に保たれたオーリエとジェルビーニョの右サイドに日本の長友、香川の左サイドからの攻撃が蓋をされ、本田はボールが預けられた瞬間に3人に寄せられてボールを奪われ、ショートカウンターにつなげられる。TV解説でいつも使われる「日本は研究されていますね」の言葉には苦笑いするしかありませんでした。オランダのスペイン戦での5バックを引合いに出すまでもなく、まず、相手の良さを消しあうところから始まるのが、W杯の戦い方。その為の事前のスカウティング合戦は当然のことですし、日本のスカウティング技術は決して低くはありません。危惧するのは、「自分たちのサッカー」に拘るあまり、相手の良さを消し、相手の弱みをつくことをおろそかにしていなかったかということです。このような勝利への戦術の欠如が、勝利への執念の欠如に繋がったのではないか。「自分たちのサッカー」の確立という方向性を否定するつもりはありません。サッカーほど国民性が反映されるスポーツはありません。日本代表サポーターとしての至福は、共感できるサッカーでの勝利です。ただ、勘違いしてはいけないのは、どんな強豪国でも「自分たちのサッカー」を90分貫き通して勝てるほど世界は甘くないということです。どの国も、勝利への綿密な戦術の中に自分たちのサッカーをすかし模様のように織り込んでいるのです。原JFA専務理事は、日本代表の敗因のひとつにザックジャパンの引き出しの少なさを挙げていますが、そのオプションの少なさが戦術の幅を狭めました。結果的に「自分たちのサッカー」に拘らざるを得なかったわけです。
コートジボアール戦では、個人的に50本の日の丸ハチマキを持ち込んで、周りのブラジル人観客(写真)に配りました。にわか日本サポーターになってもらい、試合後は、日本のサッカーに魅了されて本当の日本サッカーファンになって欲しいと願っていました。「自分たちのサッカー」では玉砕だろうと覚悟していながらも、若干の期待は抱いていました。しかし、結果的には、「自分たちのサッカー」の片鱗も見せることなく、敗戦。高い位置に保たれたオーリエとジェルビーニョの右サイドに日本の長友、香川の左サイドからの攻撃が蓋をされ、本田はボールが預けられた瞬間に3人に寄せられてボールを奪われ、ショートカウンターにつなげられる。TV解説でいつも使われる「日本は研究されていますね」の言葉には苦笑いするしかありませんでした。オランダのスペイン戦での5バックを引合いに出すまでもなく、まず、相手の良さを消しあうところから始まるのが、W杯の戦い方。その為の事前のスカウティング合戦は当然のことですし、日本のスカウティング技術は決して低くはありません。危惧するのは、「自分たちのサッカー」に拘るあまり、相手の良さを消し、相手の弱みをつくことをおろそかにしていなかったかということです。このような勝利への戦術の欠如が、勝利への執念の欠如に繋がったのではないか。「自分たちのサッカー」の確立という方向性を否定するつもりはありません。サッカーほど国民性が反映されるスポーツはありません。日本代表サポーターとしての至福は、共感できるサッカーでの勝利です。ただ、勘違いしてはいけないのは、どんな強豪国でも「自分たちのサッカー」を90分貫き通して勝てるほど世界は甘くないということです。どの国も、勝利への綿密な戦術の中に自分たちのサッカーをすかし模様のように織り込んでいるのです。原JFA専務理事は、日本代表の敗因のひとつにザックジャパンの引き出しの少なさを挙げていますが、そのオプションの少なさが戦術の幅を狭めました。結果的に「自分たちのサッカー」に拘らざるを得なかったわけです。
2014年7月21日月曜日
ブラジルW杯 - 世界との距離
前回のブログで、スペインの敗退の原因を①世界のサッカーの進化、②「自分たちのサッカー」を封印してまで相手に「自分たちのサッカー」をさせないせめぎ合い、③「自分たちのサッカー」へのこだわりがチームの崩壊につながるという3点に集約してみました。実は、この3点こそ、日本代表惨敗のキーワードではないかと思うのです。それぞれのキーワードに沿って、日本代表の課題を考えてみたいと思います。まずは、「世界のサッカーの進化」。
写真はピンボケですが、試合後サルバドール空港の特別通路を足早に去っていくデル・ボスケ監督です。よもやのグループリーグ敗退は、主力の不調、気候条件の良いキャンプ地での熱暑順応の失敗の他に、スペインのポゼションサッカーの停滞があったと思います。2008年のEuro優勝、2010年南アW杯制覇と無敵艦隊の時代が続く中でドイツ更にはイタリアまでパスサッカーを標榜するようになりました。ただ、模倣するだけでは、オリジナルを超えることはできません。強豪国は、各国とも、ポゼションサッカーのエッセンスを付加しながらも、その対策を綿密に組み上げていました。世界は常に先を目指しているということです。その中で日本は周回遅れでスペインサッカーを追いかけていた訳です。オランダは5バックの奇策でサイドのスペースを消してきました。また、ファン・ペルシを1トップとして残し、中盤を厚くして、スペインの縦パスの出処を抑え、スペインにサッカーをさせませんでした。一方、攻守の素早い切替えで長短のパスを織り交ぜたオランダの攻撃は見事でした。コートジボアールの戦法はより単純でした。オーリエとジェルビーニョの右サイドを高い位置に保って、日本の長友、香川の左サイドからの攻撃に蓋をし、本田にボールが預けられた瞬間に3人で寄せてボールを奪い、ショートカウンターにつなげる。日本代表は「自分たちのサッカー」の片鱗も見せることなく、敗れ去りました。
初戦で歯車が狂った日本は、なすすべもなく1勝も出来ずにブラジルを去ることになるのですが、日本のみならず、韓国・豪州・イランのアジア勢いずれも1勝も出来ませんでした。アジアと世界との差が広がりつつあると考えざるを得ません。世界のサッカーの進化は加速しており、アジアはその進化から取り残されているのではないか。公式戦の殆どをそのアジアで戦わざるをえず、アジアの中ではアジアの盟主として「自分たちのサッカー」で戦い、最近は強豪国との対戦でも「自分たちのサッカー」を貫く戦い方をしており、これでは、世界を体感しようがありません。親善試合でお互いのサッカーを披露しあっているだけでは、真の世界のサッカーを引き出すことは出来ないのです。「自分たちのサッカー」へのこだわりと「頂点を目指す」という志の副作用である根拠のない自信が、日本代表を世界の高みに導くどころか、世界から遠ざけたのではないでしょうか。
写真はピンボケですが、試合後サルバドール空港の特別通路を足早に去っていくデル・ボスケ監督です。よもやのグループリーグ敗退は、主力の不調、気候条件の良いキャンプ地での熱暑順応の失敗の他に、スペインのポゼションサッカーの停滞があったと思います。2008年のEuro優勝、2010年南アW杯制覇と無敵艦隊の時代が続く中でドイツ更にはイタリアまでパスサッカーを標榜するようになりました。ただ、模倣するだけでは、オリジナルを超えることはできません。強豪国は、各国とも、ポゼションサッカーのエッセンスを付加しながらも、その対策を綿密に組み上げていました。世界は常に先を目指しているということです。その中で日本は周回遅れでスペインサッカーを追いかけていた訳です。オランダは5バックの奇策でサイドのスペースを消してきました。また、ファン・ペルシを1トップとして残し、中盤を厚くして、スペインの縦パスの出処を抑え、スペインにサッカーをさせませんでした。一方、攻守の素早い切替えで長短のパスを織り交ぜたオランダの攻撃は見事でした。コートジボアールの戦法はより単純でした。オーリエとジェルビーニョの右サイドを高い位置に保って、日本の長友、香川の左サイドからの攻撃に蓋をし、本田にボールが預けられた瞬間に3人で寄せてボールを奪い、ショートカウンターにつなげる。日本代表は「自分たちのサッカー」の片鱗も見せることなく、敗れ去りました。
初戦で歯車が狂った日本は、なすすべもなく1勝も出来ずにブラジルを去ることになるのですが、日本のみならず、韓国・豪州・イランのアジア勢いずれも1勝も出来ませんでした。アジアと世界との差が広がりつつあると考えざるを得ません。世界のサッカーの進化は加速しており、アジアはその進化から取り残されているのではないか。公式戦の殆どをそのアジアで戦わざるをえず、アジアの中ではアジアの盟主として「自分たちのサッカー」で戦い、最近は強豪国との対戦でも「自分たちのサッカー」を貫く戦い方をしており、これでは、世界を体感しようがありません。親善試合でお互いのサッカーを披露しあっているだけでは、真の世界のサッカーを引き出すことは出来ないのです。「自分たちのサッカー」へのこだわりと「頂点を目指す」という志の副作用である根拠のない自信が、日本代表を世界の高みに導くどころか、世界から遠ざけたのではないでしょうか。
2014年7月20日日曜日
ブラジルW杯 - スペインの惨敗が暗示していたもの
今にして思うと、あのスペインvsオランダ戦が日本代表惨敗の暗示だったのかもしれません。試合前は、スペイン(写真)のポゼションサッカーが世界の潮流となっていること、オランダの守備陣が日本との親善試合で崩壊していたことを勘案すると、むしろスペインの圧勝を予想していました。それが、5-1という大差でのオランダの勝利。ロッペンのスピードは衝撃的でさえありました。ファンペルシーのダイビングヘッドはスポーツを超えた芸術品でした。しかし、そんな個の力のみで圧勝出来るほどW杯は簡単ではありません。むしろ、注目すべきは、①世界のサッカーは既にポゼションサッカーを超えるところまで進化していたということ、②「自分たちのサッカー」を封印して(オランダの5バック)まで、相手に「自分たちのサッカー」をさせないせめぎ合いから始まるのが世界のサッカーであるということ、③「自分たちのサッカー」へのこだわりが強いほど、僅かな歯車の乱れがチームの崩壊(スペインの崩壊)につながってしまうという3点です。まさに、スペインの敗戦の延長線上にあったのが、ザックジャパンの惨敗だったのではないかと思うのです。
2014年7月19日土曜日
ブラジルW杯 - Ready to go
半年以上ブログを中断してしまいました。Facebookを始めて、思い立った時に情報や想いを友人と共有出来る手軽さから、ついつい書込みのツールがFBに限定されるようになってしまいました。想いの呟きを都度アップしていると、なかなか推敲した長文が書けなくなってしまったのも、ブログ中断の原因でした。ブログを開始したのは2008年。北京五輪のサッカー現地応援レポートが最初のテーマでした。今回のブラジルW杯の主力である本田、香川、長友、吉田、内田、岡崎などが、当時のU-23代表でした。北京五輪での惨敗をバネに海外に雄飛し、A代表での雪辱を目指していたのですが、残念ながら、再度、世界の壁に跳ね返される結果となってしまいました。当時の反町監督は「日本らしいサッカー」を唱えていました。そして、今回の代表も「自分たちのサッカー」へのこだわり。2つの惨敗をつなぐこのキーワードをプロットに据え、ブログを再開したいと思います。
今回のブラジルW杯では、日本のGL初戦コートジボアール戦に加え、オランダvsスペインというゴールデンカードを観戦する3泊7日のツアーに参加しました。各国のサポーターが各々の代表ユニフォームを着て、街を練り歩き、現地の酒とサッカーに酔う4年に1度の祭典。それが、サポーター達のW杯なのです。W杯に出場出来るのはFIFA加盟209ヶ国(地域)のうちわずかに32ヶ国。7分の1に選ばれしサポーターとして、W杯に参加できる至福に身を委ねにいくのが、W杯現地観戦の目的でもあります。今回は、地球の裏側だけに流石に現地応援日本人サポーターの数が不安視される為、現地ブラジル人の助っ人サポーターを増やそうと、日の丸ハチマキを50本用意し、また、ポルトガル語で「日本を応援して下さい」のパネルを用意しました。後輩がプロモートしている「ハチマキ大作成」への私的別働隊としての参加でもあります。
写真は、出発前のパッキング前のショットです。1ヶ月前に記憶を巻き戻して、ブログを書き始めることにします。
今回のブラジルW杯では、日本のGL初戦コートジボアール戦に加え、オランダvsスペインというゴールデンカードを観戦する3泊7日のツアーに参加しました。各国のサポーターが各々の代表ユニフォームを着て、街を練り歩き、現地の酒とサッカーに酔う4年に1度の祭典。それが、サポーター達のW杯なのです。W杯に出場出来るのはFIFA加盟209ヶ国(地域)のうちわずかに32ヶ国。7分の1に選ばれしサポーターとして、W杯に参加できる至福に身を委ねにいくのが、W杯現地観戦の目的でもあります。今回は、地球の裏側だけに流石に現地応援日本人サポーターの数が不安視される為、現地ブラジル人の助っ人サポーターを増やそうと、日の丸ハチマキを50本用意し、また、ポルトガル語で「日本を応援して下さい」のパネルを用意しました。後輩がプロモートしている「ハチマキ大作成」への私的別働隊としての参加でもあります。
写真は、出発前のパッキング前のショットです。1ヶ月前に記憶を巻き戻して、ブログを書き始めることにします。
2013年12月8日日曜日
The Golden Slumbers - M君に捧ぐ
以前にも書きましたが、Facebookを始めてからBlogの書込みがめっきり減ってしまいました。呟いてしまったことで、何となく心に貯めたものが吐き出され、Blogに想いが込められないということもあります。しかし、この1ヶ月はとても感慨深い出来事が多かったので、反芻しながら、書き残しておこうと思います。
11月18日Paulが東京ドームにやって来ました。さすがに声の伸びと艶には衰えが感じられたものの、アンコール曲の最後にシャウト系のHelter Skelterをもってくるなど、古希を超えているとはとても思えないエネルギッシュな3時間休みなしの圧巻のステージでした。もちろん、Paulの公演は、楽しみにしていたのですが、さらにもうひとつの想いがありました。実は、直前に会社の後輩のM君が突然あの世に旅立ってしまったのです。彼とは、ビートルズのコピーバンドのライブハウス「Abbey Road」仲間でもありました。彼は、「Golden Slumbers」が好きで、いつもリクエストするのですが、彼がいる時に限って演奏されないという残念な巡り合わせの曲でした。今回のPaulのステージで、M君への追悼歌として是非歌って欲しいと願っていたわけです。しかし、残念ながら最後まで演奏されませんでした。この曲は他の3曲とメドレーとなっている為、演奏に約6分を要し、アンコール曲には向きません。やはり、アンコール曲は福島の被災者に贈る「Yesterday」とまさかの「Helter Skelter」。やっぱりダメだったかと諦めていましたが、奇跡が起きました。開演後3時間近くにもなろうかというのに、2度目のアンコールに応じてPaulが再びステージに。キーボードの前に座ったPaulが歌い出したのです。「♫Once there was a way・・・」涙が滲んできました。Paul、奇跡をありがとう。
もう一つ、心に沁みた曲、「Blackbird」。長女が好きな曲でもあります。Paulのアコースティックギターでの弾き語り曲です(写真)。♫Blackbird fly, Blackbird fly. Into the light of the dark black night・・・.
傷ついた鳥に、暗闇の中のほのかな灯りに向かって飛びたてと呼びかけます。Blackbirdは黒歌鳥との和名通り、美しい歌声の小鳥です。Paulはステージでこの歌をこう紹介していました。「60年代の米国で、とても苦しんでいる人たちが立ち上がろうともがいていることをニュースで知ったんだ。公民権運動だった。僕は苦しんでいる人たちに少しでも希望や勇気を与えることが出来ればと思って、この曲を書いた。」
M君は、やんちゃな天使が地上に迷い込んでしまったような、純真で、真っ直ぐな性格の人物でした。こよなく、だんじり祭を愛し、故郷岸和田を愛していました。乾いた東京での暮らしは彼にとっては時にして辛いものだったのかもしれません。魂が解き放たれて、懐かしい故郷の上空であのはにかんだ笑顔を振りまいていることを祈るばかりです。)。♫Blackbird fly, Blackbird fly. Into the light of the dark black night・・・.
11月18日Paulが東京ドームにやって来ました。さすがに声の伸びと艶には衰えが感じられたものの、アンコール曲の最後にシャウト系のHelter Skelterをもってくるなど、古希を超えているとはとても思えないエネルギッシュな3時間休みなしの圧巻のステージでした。もちろん、Paulの公演は、楽しみにしていたのですが、さらにもうひとつの想いがありました。実は、直前に会社の後輩のM君が突然あの世に旅立ってしまったのです。彼とは、ビートルズのコピーバンドのライブハウス「Abbey Road」仲間でもありました。彼は、「Golden Slumbers」が好きで、いつもリクエストするのですが、彼がいる時に限って演奏されないという残念な巡り合わせの曲でした。今回のPaulのステージで、M君への追悼歌として是非歌って欲しいと願っていたわけです。しかし、残念ながら最後まで演奏されませんでした。この曲は他の3曲とメドレーとなっている為、演奏に約6分を要し、アンコール曲には向きません。やはり、アンコール曲は福島の被災者に贈る「Yesterday」とまさかの「Helter Skelter」。やっぱりダメだったかと諦めていましたが、奇跡が起きました。開演後3時間近くにもなろうかというのに、2度目のアンコールに応じてPaulが再びステージに。キーボードの前に座ったPaulが歌い出したのです。「♫Once there was a way・・・」涙が滲んできました。Paul、奇跡をありがとう。
もう一つ、心に沁みた曲、「Blackbird」。長女が好きな曲でもあります。Paulのアコースティックギターでの弾き語り曲です(写真)。♫Blackbird fly, Blackbird fly. Into the light of the dark black night・・・.
傷ついた鳥に、暗闇の中のほのかな灯りに向かって飛びたてと呼びかけます。Blackbirdは黒歌鳥との和名通り、美しい歌声の小鳥です。Paulはステージでこの歌をこう紹介していました。「60年代の米国で、とても苦しんでいる人たちが立ち上がろうともがいていることをニュースで知ったんだ。公民権運動だった。僕は苦しんでいる人たちに少しでも希望や勇気を与えることが出来ればと思って、この曲を書いた。」
M君は、やんちゃな天使が地上に迷い込んでしまったような、純真で、真っ直ぐな性格の人物でした。こよなく、だんじり祭を愛し、故郷岸和田を愛していました。乾いた東京での暮らしは彼にとっては時にして辛いものだったのかもしれません。魂が解き放たれて、懐かしい故郷の上空であのはにかんだ笑顔を振りまいていることを祈るばかりです。)。♫Blackbird fly, Blackbird fly. Into the light of the dark black night・・・.
2013年11月4日月曜日
東北楽天イーグルスの奇跡
こ
実は、Facebookで日本シリーズ第6戦のマー君の敗戦と最終戦最終回でのリベンジ登板による楽天の日本一を予想していました。今年の「あまちゃん」「半沢直樹」ブームの流れで、あり得ないマンガのような展開、倍返し、最後は東北の復興という展開を冗談半分で予想したわけです。さすがに、予想した「最終戦9回表楽天1点リードながら無死満塁の大ピンチにマー君リリーフ登板。3者連続三振で、楽天が歓喜の日本一」というところまで漫画チックではなかったものの、最後のバッターをキッチリ三振で仕留めての雄叫びは感動ものでした。
実は、Facebookで日本シリーズ第6戦のマー君の敗戦と最終戦最終回でのリベンジ登板による楽天の日本一を予想していました。今年の「あまちゃん」「半沢直樹」ブームの流れで、あり得ないマンガのような展開、倍返し、最後は東北の復興という展開を冗談半分で予想したわけです。さすがに、予想した「最終戦9回表楽天1点リードながら無死満塁の大ピンチにマー君リリーフ登板。3者連続三振で、楽天が歓喜の日本一」というところまで漫画チックではなかったものの、最後のバッターをキッチリ三振で仕留めての雄叫びは感動ものでした。
とはいえ、第6戦で160球を投じて最後までマウンドに立ち続けた段階で、最終戦登板は当然無いものと思っていました。星野監督は最終戦を見越して、マー君を途中降板させたかったはずです。続投を志願したのは、メジャー移籍前の最終登板との想いからのマー君の我儘でした。最終戦のリリーフもマー君の我儘。3点差とはいえ、野球に絶対はありません。勝負師星野を知っている世代としては、らしくない解せない采配ですが、マー君の気迫が、勝負師星野の男気に火をつけたのでしょう。星野監督は温情が裏目に出た際には進退を賭ける覚悟で、マー君の我儘に付き合ったわけです。最終戦のマー君の球威は明らかに落ちていました。コントロールもバラついていました。巨人がマー君の幻想に惑わされず、冷静に選球していたら、攻略は可能だったと思います。そして、もし、最終戦に巨人が逆転劇を演じていたら・・・。来年、更にパワーアップし、シーズン連勝記録を更新するマー君を日本で見ることが出来たかもしれません。とはいえ、野球に「もしも」はありません。東北の被災地にとっては、本当に劇的で最高のフィナーレでした。マー君の快投は、明らかに東北のファンが後押ししたなし得た奇跡でした。寄せ集め集団を日本一のチームに変えたのは、東北への強い想いにより結ばれた絆でした。そして、東北楽天のこの快挙が、東北被災地復興への大きな後押しとなり、風化しかけている復興への絆を日本に再び蘇えられさせることを望まずにはいられません。
2013年10月3日木曜日
Project Kool Js - お・も・て・な・し
秋のMCN秘湯・登山の会のプロジェクト(N隊長、シェフパT参加。ドクターK欠席)は、日本秘湯を守る会の桧枝岐かぎや旅館(K)で一泊し、前後に尾瀬沼と尾瀬ヶ原(O)のハイキングを楽しみ、尾瀬ロッジ(OL)から蛇紋岩(J)の至仏山(S)にアタックするという行程です。頭文字を取って、Project Kool Js。クールな日本を再認識するという意味合いを込めた命名です。かぎや旅館は、尾瀬桧枝岐村で若夫婦が切り盛りする温泉宿です。採れたての山菜を調理した山人(やもーど)料理とそば粉ともち米を練ったデザート「はっとう」が名物の宿です。(「はっとう」は、桧枝岐村の地元料理で、昔、殿様が村人の作ったはっとうを食して、そのあまりの美味しさに驚き、「このような贅沢な食べ物は、祝いや祭りの日以外は食べてはならぬ」というご法度(はっと)が出されことから、この名が付いたと言われていますが、「ほうとう」がなまったという説もあります。)伝統の料理を若いご夫婦が受け継ぎ、日本の良き宿の風情を留めています。温泉も、下手な露天風呂で客を呼ぶのではなく、正統派の総檜風呂でゆったりと魅了します。まさに、「お・も・て・な・し」の宿です。
尾瀬ロッジは、至仏山の登山口に位置する山小屋です。山小屋での食事など普通は望むべくもないのですが、この尾瀬ロッジの食事は絶品でした。山小屋だけに手間こそかかっていませんが、地元片品村の新鮮な野菜や卵を使った料理は、正真正銘、心のこもった「お・も・て・な・し」でした。
尾瀬ロッジは、至仏山の登山口に位置する山小屋です。山小屋での食事など普通は望むべくもないのですが、この尾瀬ロッジの食事は絶品でした。山小屋だけに手間こそかかっていませんが、地元片品村の新鮮な野菜や卵を使った料理は、正真正銘、心のこもった「お・も・て・な・し」でした。
因みに、シェフパT苦心の昼食はスキヤキ→炊込みご飯→即席めんというこれぞクール・ジャパンメニュー。さすがでした。
今回のプロジェクトのクライマックスは、至仏山。標高2,228m。日本百名山のひとつです。蛇紋岩で出来た山肌は乾いていても滑り易く、尾瀬ヶ原からの登りは、樹林帯を抜けてから山頂までの間は、下りは危険ということで、登り専門となっています。その瓦礫道を文字通り這うようにして岩をつかみながら登ります。振り返ると、尾瀬ヶ原が一望に見渡せ、その先に東北最高峰の燧ケ岳がそびえるという絶景が広がっています。そんな景色を愛でる余裕も無く、息絶え絶えでようやく辿り着いた山頂で待ち構えていてくれたのが、写真の眺望です。南方を見渡すと、武尊山(写真中段の青い山並み)の彼方に広がる雲海から顔を覗かせているのは、紛れもなく富士山です。関東のはずれの地からも拝むことの出来る雄大なその姿は、日本の誇る自然美、そして、日本人の「お・も・て・な・し」の精神文化の象徴でもあります。ここにもクール・ジャパンが・・・。
今回のプロジェクトのクライマックスは、至仏山。標高2,228m。日本百名山のひとつです。蛇紋岩で出来た山肌は乾いていても滑り易く、尾瀬ヶ原からの登りは、樹林帯を抜けてから山頂までの間は、下りは危険ということで、登り専門となっています。その瓦礫道を文字通り這うようにして岩をつかみながら登ります。振り返ると、尾瀬ヶ原が一望に見渡せ、その先に東北最高峰の燧ケ岳がそびえるという絶景が広がっています。そんな景色を愛でる余裕も無く、息絶え絶えでようやく辿り着いた山頂で待ち構えていてくれたのが、写真の眺望です。南方を見渡すと、武尊山(写真中段の青い山並み)の彼方に広がる雲海から顔を覗かせているのは、紛れもなく富士山です。関東のはずれの地からも拝むことの出来る雄大なその姿は、日本の誇る自然美、そして、日本人の「お・も・て・な・し」の精神文化の象徴でもあります。ここにもクール・ジャパンが・・・。
Project Kool Js, Mission Complete!
2013年9月23日月曜日
I'll follw the sun - 旅立ちの時
The Beatlesの"I'll follow the sun"。「明日は雨が降るかもしれない。だから、僕は太陽を追いかけていく」「And now the time has come And so my love I must go」ミディアムテンポのギターが、しっとりと染み込んできます。太陽を追いかけて、田舎の一本道を遠ざかっていく人影。そんな光景が浮かんでくる詩情溢れる楽曲です。つい最近、新たな人生を踏み出した友人が、Facebookでこの曲になぞらえて心情を語っていました。まさに、旅立ちに相応しい曲だと思います。ところが、この曲はポールが16歳の時の作品とのことです。しかも、風邪で寝込んでいて、吸った煙草がひどくまずくて、そんな時、レースのカーテン越しに眺めた外の景色を曲にしたものだそうです。風邪をひいた不良少年が煙草に咳込みながら作った曲に、人生の節目の時を重ねて感傷的になるというのは、少しばかり情けない気もしますが、それだけ、ポールが早熟の天才だということなんでしょう。そのポールがやって来ます。太陽を追いかけて、時代を駆け抜けて来た71歳の天才ミュージシャンの歌う"I'll follow the sun"はどんな深みを増しているのでしょうか。2013年9月8日日曜日
祝!東京五輪2020
2020年東京に五輪が戻ってきます。今から49年前の1964年、高度成長期の真っ只中とはいえ、まだまだ戦後を引きずり、みんなが等しく貧しい時代でした。カラーテレビが普及し始めていたとはいえ、多くの家庭ではちゃぶ台の前に白黒テレビが鎮座していた時代でした。ちゃぶ台の上では、アルミ鍋からおでんの湯気が立ち上り、親父は、一升瓶から二級酒を湯呑みに注いでは、茹で落花生をツマミに、舌鼓を打っていました。TVでは、東洋の魔女が回転レシーブを繰り返し、チャフラフスカが躍動していました。アベベの哲人のような風貌と円谷の精根尽き果てたゴールをテレビは見事に映し出していました。重量挙げの三宅、体操の小野、遠藤。そして、世界の凄さを思い知らされたジャボチンスキーとヘーシンク。あの時の映像は、今でも脳裏に鮮明に残っています。あのいつまでも色褪せない日々を、子供たちに味あわせてあげられると思うと、2020年五輪招致成功は本当に快挙だと思います。
ただ、喜んでばかりはいられません。これは、復興への道筋を掲げて支持を得た東京の世界へのコミットメントでもあります。世界への約束実現に向けたカウンターは既に動き始めているのです。7年後には、立派に復興を果たした東北を世界の人々に見てもらわなければなりません。また、7月~8月の開催スケジュールを考えると、現在悪化の一途を辿っているヒートアイランド現象にストップをかけることも急務です。そして、まずは、安倍総理が明確に約束した福島第一原発の放射線問題を早急に解決しなければなりません。五輪は、東京という都市のプロジェクトではありますが、日本が国家として明確な目標設定を行う絶好の機会となりました。前回の東京五輪は、世界に追い付き、世界に踏み出す象徴的なイベントでした。7年後の東京五輪は、世界に日本人の「絆」を示し、スポーツを通じての「絆」というオリンピックの本来の意義を思い起こさせる大会となればと思います。
ただ、喜んでばかりはいられません。これは、復興への道筋を掲げて支持を得た東京の世界へのコミットメントでもあります。世界への約束実現に向けたカウンターは既に動き始めているのです。7年後には、立派に復興を果たした東北を世界の人々に見てもらわなければなりません。また、7月~8月の開催スケジュールを考えると、現在悪化の一途を辿っているヒートアイランド現象にストップをかけることも急務です。そして、まずは、安倍総理が明確に約束した福島第一原発の放射線問題を早急に解決しなければなりません。五輪は、東京という都市のプロジェクトではありますが、日本が国家として明確な目標設定を行う絶好の機会となりました。前回の東京五輪は、世界に追い付き、世界に踏み出す象徴的なイベントでした。7年後の東京五輪は、世界に日本人の「絆」を示し、スポーツを通じての「絆」というオリンピックの本来の意義を思い起こさせる大会となればと思います。
2013年9月1日日曜日
Project 青い秘密 - 岩木山編
さて、待つこと1時間半。カレーが煮詰まり始めた頃、ようやく別働隊が到着しました。途中で雪渓を登らざるを得ない箇所があり、難渋したとのことでした。疲れ切った身体には、南三陸で頂いたキュウリが心地よかったと思います。一緒に頂いた味噌との相性も抜群でしたし、味噌はカレーの隠し味にも使わせて頂きました。「青い秘密」です。
東北の震災地は、2年余を経ても、未だ復興への道筋も見えない状況でしたが、被災地の人々が、いや日本国民全体が、写真のように坂の上に浮かぶひとひらの雲を見据えつつ、厳しい坂道を登り始める日が来ることを切に願っています。
2013年8月31日土曜日
Project 青い秘密 - 何も始まっていない
夏バテ気味で、ブログの更新がすっかり滞ってしまいました。というより、Facebookでポツリポツリと呟いているうちに、ブログでのまとまった文章作りが億劫になってしまったというのが、正直なところかもしれません。気を引き締めて、この夏のプロジェクトの記憶を書き留めておくことにします。
MCN秘湯登山倶楽部で毎年初夏に実施している秘湯を絡めた登山。今年は、青森県の最高峰、1,624m岩木山と百沢温泉の旅です。岩木山は、津軽富士の名前で知られる美しい容貌の山です。 青森、岩木山、百沢音泉、ミチノクコザクラ、津軽富士の頭文字を集めて、プロジェクトコード名は「青い秘密」。青春の思い出や隠れた記憶を辿る旅にしたいとの思いもありました。
業務多忙のN隊長は同行出来なかったものの、シェフパTと救護隊員ドクターKとともに、青森に向かう途中、震災被災地をレンタカーで巡りました。あれから2年半、力強い復興の姿を確かめておきたかったのです。しかし、そこにあったのは・・・。
まず向かったのは、志津川町防災対策庁舎(写真)。今でも慰霊の献花が絶えません。鉄筋の骨組みのみ残した庁舎跡の周りに広がるのは、一面の野原。瓦礫の山に夏草が生い茂り、気まぐれな初夏の雨が降り注いでいるだけでした。被災地巡りのもう一つの目的地は、陸前高田の奇跡の一本松モニュメント。枝葉の一つ分をTeam MC78の仲間で募金させて頂きました。復興の象徴にとの想いを込めてのものでしたが、一本松の周辺の陸前高田一帯は2年経ってようやく瓦礫の撤去が終わった段階。復興の2文字とは程遠い状況でした。車のナビが、かつてそこにあった街並みを虚しく映し出します。それが、未来予想図であると信じたいのですが、その希望さえ打ち砕いてしまうような惨状でした。決して風化させてはいけないものがそこにありました。現実への直視が薄れていることをひしひしと感じる被災地巡りでした。当時は、折しも参院選を前にした時期でした。選挙の争点は、憲法改正論議とかアベノミクス論議。復興への取組みを第一に論じる候補者はいませんでした。そして、現在の政局は、消費税論議に。復興から視点がどんどん離れていっています。
今、密かに期待しているのは、NHK朝ドラ「あまちゃん」。来週放映予定の天野アキのGMTメンバーとの初ライブの日にちの設定は、2011年3月12日。明らかにあの大震災と絡めた展開が予想されます。復興に挑むアキはじめ北三陸の人々のひたむきな姿に、日本全体がもう一度「絆」の言葉を思い出すことを願っています。
MCN秘湯登山倶楽部で毎年初夏に実施している秘湯を絡めた登山。今年は、青森県の最高峰、1,624m岩木山と百沢温泉の旅です。岩木山は、津軽富士の名前で知られる美しい容貌の山です。 青森、岩木山、百沢音泉、ミチノクコザクラ、津軽富士の頭文字を集めて、プロジェクトコード名は「青い秘密」。青春の思い出や隠れた記憶を辿る旅にしたいとの思いもありました。
業務多忙のN隊長は同行出来なかったものの、シェフパTと救護隊員ドクターKとともに、青森に向かう途中、震災被災地をレンタカーで巡りました。あれから2年半、力強い復興の姿を確かめておきたかったのです。しかし、そこにあったのは・・・。
まず向かったのは、志津川町防災対策庁舎(写真)。今でも慰霊の献花が絶えません。鉄筋の骨組みのみ残した庁舎跡の周りに広がるのは、一面の野原。瓦礫の山に夏草が生い茂り、気まぐれな初夏の雨が降り注いでいるだけでした。被災地巡りのもう一つの目的地は、陸前高田の奇跡の一本松モニュメント。枝葉の一つ分をTeam MC78の仲間で募金させて頂きました。復興の象徴にとの想いを込めてのものでしたが、一本松の周辺の陸前高田一帯は2年経ってようやく瓦礫の撤去が終わった段階。復興の2文字とは程遠い状況でした。車のナビが、かつてそこにあった街並みを虚しく映し出します。それが、未来予想図であると信じたいのですが、その希望さえ打ち砕いてしまうような惨状でした。決して風化させてはいけないものがそこにありました。現実への直視が薄れていることをひしひしと感じる被災地巡りでした。当時は、折しも参院選を前にした時期でした。選挙の争点は、憲法改正論議とかアベノミクス論議。復興への取組みを第一に論じる候補者はいませんでした。そして、現在の政局は、消費税論議に。復興から視点がどんどん離れていっています。
今、密かに期待しているのは、NHK朝ドラ「あまちゃん」。来週放映予定の天野アキのGMTメンバーとの初ライブの日にちの設定は、2011年3月12日。明らかにあの大震災と絡めた展開が予想されます。復興に挑むアキはじめ北三陸の人々のひたむきな姿に、日本全体がもう一度「絆」の言葉を思い出すことを願っています。
2013年7月31日水曜日
ブラジルへの道程 - 東アジアカップ
ところが、帰国して早速録画を見てみると、違った風景が見えて来ました。確かにゲームを通して押し込まれる展開には変わりがないのですが、TV画面での選手の身振りや表情には、スタンドで感じていたほどのバタバタ感がないのです。スタンドからの観戦はピッチ全体が見渡せて、フォーメーションや選手個々のポジショニングが分かる醍醐味がありますが、高低・遠近がアバウトだったり、選手の表情が読み取れないのが難点です。時としてスタンドから見るととんでもないミスパスが、TVで見ると実は気持ちを込めた絶妙なスルーパスを狙ったものだったりします。この試合もスタンドからだと、日本代表が苦し紛れに蹴り返すだけの極めて情けない展開に見えましたが、TV画面での選手の姿にはむしろ余裕すら伺え、戦略的にリスクを抑え、あえて堅守速攻に徹して勝負に拘る姿勢が読み取れました。代表へのアピールを図りたいというのが選手達の本音だったと思いますが、はやる気持ちを抑えてチーム戦術に徹していました。コンフェデ杯とは選手が一変していますが、チームとしてコンフェデ杯惨敗の教訓を踏まえ、成長した姿を見せてくれたと勝手に解釈しています。監督解任の声もあがり、優勝が絶対条件の中、ザッケローニは大胆なターンオーバー制を取り、全選手に出場機会を与えるとともに、主力メンバーに最終戦前に休養を与えることにも成功しました。結果的にこの作戦が当たり、また、韓国戦3人目に投入した豊田が守備で貢献するなど、ザックも本田同様「持っている男」なんでしょう。
2013年6月30日日曜日
コンフェデレーション杯2013 ‐ 見えてきたもの
コンフェデレーション杯2013は、3戦全敗という日本代表にとって極めて厳しい現実をつきつけられた大会となってしまいました。W杯アジア最終予選を最終戦を残して予選突破を決めたとはいえ、予選終盤の戦いぶりは決してアジアチャンピオンに相応しいものではありませんでした。「このままでは世界とは戦えない」という不安を抱えてのブラジルへの旅立ちでした。コンフェデ杯3戦で9失点の守備では、世界では勝ち点を奪うことは出来ません。得点力を考えると、とにかく、失点を1点以内に抑えることが、まず挑むべき課題でしょう。一方で、4得点には一縷の光明を見出すことが出来ます。日本のバスサッカーが世界のDF陣を切り裂いた瞬間もありました。第三の動きの運動量を増やし、連動性を高めていけば、世界の脅威となるポテンシャルは秘めています。最大の問題点は、イタリア戦、メキシコ戦で露呈した試合運びの稚拙さでしょう。高い温度と湿度、過密スケジュールという過酷な試合環境の中で、一本調子の常にフルスロットルの戦い方では、どこかでエアポケットが出来てしまうことは避けられません。日本代表の失点は、いずれもそのエアポケットをつかれたものです。2013年6月17日月曜日
途切れさせてはいけないもの
W杯アジア予選最終戦イラク戦。コンフェデレーション杯初戦ブラジル戦。そして、Jリーグ東日本大震災復興支援スペシャルマッチ。本当に慌ただしくも至福の1週間でした。
イラク戦は勝ったことだけが全て。本来の目的のサブの選手を試すという点では不十分。且つ、起用されたサブの選手はアピール出来ず。W杯本戦に向けた準備の第一歩としては、何となく消化してしまった試合となってしまい、満足なものではありませんでした。その結果が、コンフェデレーション杯初戦。世界とアジアの差をまざまざと見せつけられた惨敗でした。「個」のレベルの違いは明らか。それに加え、ここぞという時のチームとしてのスピードはもはや異次元。長友は「中学生とプロのゲーム」と揶揄していました。この惨敗を本戦で繰り返すわけにはいきません。何をすべきか?本田の言うように「個の向上」はもちろん必須ですが、これを前面に押し出すのは危険です。「個」の差を前提として、どう戦うのかの戦略を練るべきでしょう。いわゆる「自分たちのサッカー」をアジア仕様から世界仕様に設計変更せざるを得ないのが、現実の姿であり、これから1年の課題だと思います。
さて、Jリーグ東日本大震災復興支援スペシャルマッチ。昨年に続き2回目の開催となります。写真はキックオフ前の黙祷のシーンです。被災地にゆかりのある選手で構成されたTeam As OneがJリーグ選抜を下し、昨年に続き勝利を飾りました。一旦退いた闘莉王がFWとして交代で出てくるなど、選手自身も楽しみ、エンターテイメントの要素も散りばめられたマッチでしたが、反面、勝ちにこだわった熱い気持ちも感じられ、被災地に勇気を与えるイベントに相応しいゲームでした。スタジアムでは、被災地の小学校のグラウンドに簡易照明を設置するための募金が行われていました。小学生たちが日没後もサッカーを楽しめるようにという目的です。募金の使途としては、他に優先順位の高いものもあろうかと思いますが、サッカーファンが是非してあげたいことなのです。それぞれが、その立場と見方で、出来ることを続けていくことが大事なのだと思います。日本代表の「個」と「組織力」の向上。震災復興。それぞれに終わりのない長い道のりですが、一歩、一歩、足を踏み出し、歩みを継続していくことこそが、重要なのではないでしょうか。決して途切れさせてはいけない。
イラク戦は勝ったことだけが全て。本来の目的のサブの選手を試すという点では不十分。且つ、起用されたサブの選手はアピール出来ず。W杯本戦に向けた準備の第一歩としては、何となく消化してしまった試合となってしまい、満足なものではありませんでした。その結果が、コンフェデレーション杯初戦。世界とアジアの差をまざまざと見せつけられた惨敗でした。「個」のレベルの違いは明らか。それに加え、ここぞという時のチームとしてのスピードはもはや異次元。長友は「中学生とプロのゲーム」と揶揄していました。この惨敗を本戦で繰り返すわけにはいきません。何をすべきか?本田の言うように「個の向上」はもちろん必須ですが、これを前面に押し出すのは危険です。「個」の差を前提として、どう戦うのかの戦略を練るべきでしょう。いわゆる「自分たちのサッカー」をアジア仕様から世界仕様に設計変更せざるを得ないのが、現実の姿であり、これから1年の課題だと思います。
さて、Jリーグ東日本大震災復興支援スペシャルマッチ。昨年に続き2回目の開催となります。写真はキックオフ前の黙祷のシーンです。被災地にゆかりのある選手で構成されたTeam As OneがJリーグ選抜を下し、昨年に続き勝利を飾りました。一旦退いた闘莉王がFWとして交代で出てくるなど、選手自身も楽しみ、エンターテイメントの要素も散りばめられたマッチでしたが、反面、勝ちにこだわった熱い気持ちも感じられ、被災地に勇気を与えるイベントに相応しいゲームでした。スタジアムでは、被災地の小学校のグラウンドに簡易照明を設置するための募金が行われていました。小学生たちが日没後もサッカーを楽しめるようにという目的です。募金の使途としては、他に優先順位の高いものもあろうかと思いますが、サッカーファンが是非してあげたいことなのです。それぞれが、その立場と見方で、出来ることを続けていくことが大事なのだと思います。日本代表の「個」と「組織力」の向上。震災復興。それぞれに終わりのない長い道のりですが、一歩、一歩、足を踏み出し、歩みを継続していくことこそが、重要なのではないでしょうか。決して途切れさせてはいけない。
2013年6月9日日曜日
Oの悲劇
5月23日国立競技場。藤田俊哉送別試合。至福の時間でした。現役時代いつもTV画面のどこかに顔を見せていた俊哉が、現役さながらの運動量で走り回り、ウルトラマン並みに3分間限定でピッチに立ったゴンが、予告通り、俊哉にアシスト。(「俊哉にはいつもアシストしてもらっていたので、最後は俊哉のゴールをアシストしたい」試合前のインタビュー。)ハーフタイムのカズとのパス練習をはじめ、ゲーム中もカズにボールを集めるなど、妙にカズに気を使っていたヒデなど、見所満載の本当に楽しいゲームでした。その中でも、クライマックスは10数年ぶりのN-Box(名波を中心にMF5人がサイコロの5の目状に配置されたジュビロ磐田最盛期の布陣。週刊サッカーマガジンが名波のイニシャルから命名)。福西が名波を追い越し、俊哉が並走。福西の抜けたスペースを服部がカバー。名波を中心に幾何学模様を描くような見事な流動性は健在。もっとも、服部はかなり体が重そうでしたが。そして、寂しかったのは、N-Boxの一角の奥大介がいなかったこと。すね当てが出るほどソックスを下げて、チョコチョコ走り回っていた奥は、紳士の多いジュビロのプレーヤーの中で珍しいトラブルメーカーでした。レフリーに注意されてソックスを一旦は上げるものの、すぐにずり下がり、再度注意されては、レフリーに逆に食ってかかる。小柄で童顔の容貌も相まって、憎めないキャラクターでした。
その奥が今回の事件。残念です。サッカー選手のみならず、仕事と家庭を両立させなければならないのは、世の常。ただ、この2つは微妙な関係で、トレードオフの関係であったり、どちらかがうまくいかないと他方に連鎖したり。体調不良でサッカーの世界を離れざるをえなかった(FC横浜のテクニカルアドバイザーを辞任)奥の無念さは、推し量るだけでも胸が痛みます。だからこそ尚更家庭に安らぎを求めようとしたのでしょう。自らの存在価値を見つけようとしたのでしょう。その過剰な気持ちが悲劇につながったのかもしれません。
写真は、送別試合でスタンドに投げ入れられた紙吹雪替わりのサックスブルーのメタルテープです。新潟に反町姫から分けて頂きました。裏に俊哉の直筆で書かれていた文字は「サッカー楽しいです‼」あのドリームチームのメンバーには、いつまでも楽しさの連鎖を紡いでいて欲しかった。
その奥が今回の事件。残念です。サッカー選手のみならず、仕事と家庭を両立させなければならないのは、世の常。ただ、この2つは微妙な関係で、トレードオフの関係であったり、どちらかがうまくいかないと他方に連鎖したり。体調不良でサッカーの世界を離れざるをえなかった(FC横浜のテクニカルアドバイザーを辞任)奥の無念さは、推し量るだけでも胸が痛みます。だからこそ尚更家庭に安らぎを求めようとしたのでしょう。自らの存在価値を見つけようとしたのでしょう。その過剰な気持ちが悲劇につながったのかもしれません。
写真は、送別試合でスタンドに投げ入れられた紙吹雪替わりのサックスブルーのメタルテープです。新潟に反町姫から分けて頂きました。裏に俊哉の直筆で書かれていた文字は「サッカー楽しいです‼」あのドリームチームのメンバーには、いつまでも楽しさの連鎖を紡いでいて欲しかった。
2013年6月5日水曜日
余りに予定調和の結末 ‐ 豪州戦
いずれにせよ、W杯出場決定の歴史的ゲームになるだろうとの確信はありましたので、祝賀セレモニーが終わってからの遅い帰宅になることを覚悟していました。しかし、実際には、素直に喜ぶ気になれず、試合終了後早々とスタジアムを後にしました。浦和美園駅までの約20分間の道のりは、喜びに沸くサポーターは少なく、まるで山間の沢の流れのような静かな青い帯が小刻みに揺れているのみでした。評価しにくいゲームでした。前半見事なカウンターをし掛けていた豪州も、後半はピタッと脚が止まり、完全に日本ペース。それでもゴールを決め切れない日本は、DF栗原を投入し、スコアレスドロー狙いの3バック(?)へのシステム変更。ところが、攻撃的3-4-3が染み付いているチームはサイドが前掛かりになってしまい、豪州のラッキーな先取点の遠因を作ってしまいます。最後のPKは豪州戦アウェーでの不可解なPKの埋め合わせのようなサッカーの神様の采配。結果だけみると、日本がW杯への切符を手にし、豪州も勝ち点1の積上げにより望みを繋ぐという、双方にとって最低限の目標を達成した極めて予定調和的な結果となりました。5大会連続W杯出場というのは大変な偉業であり、素直に喜ぶべきでしょうが、代表選手達が「W杯優勝」を口にしている以上、サポーターとしても、安易な妥協は出来ません。アジア最終予選突破を通過点とするならば、最終ゴールの本戦での躍進は現時点ではかなり遠いと言わざるを得ません。このままでは世界と戦えません。ザックジャパン発足時は、守備が安定し、攻撃時の選手間の連携も躍動感が溢れていました。しかし、このところ、守備は厚みに欠け、攻撃も狭いスペースの突破にこだわり過ぎている感があり、「組織は出来上がった。次は個の成長」の呪縛に囚われ、肝心の連携を失いつつあるのではないかと危惧されます。成長の過程の踊り場状態といえるかもしれませんが、ここを乗り切り、確実な成長を実現できるのか、あるいは、このまま、組織崩壊の途を辿るのかは、まさに指揮官の手腕次第というべきでしょう。トルシエ、ジーコは失敗し、南アW杯時の岡田監督のみが結果を残しました。ザッケローニは、人柄的には極めて好感を持てるのですが、今回の豪州戦でのドタバタ采配をみると若干不安なしとはしません。スコアレスドロー狙いでDF栗原を投入したのは理に適っています。ただ、ここで、3バックにしたのか、長友を1列前に出して4バックを維持したのかの指示の不徹底がありました。また、終了間際にハーフナーを投入して豪州相手に空中戦を挑んだのは全く疑問。後半明らかに足の止まった豪州には、裏を取ってスピードで挑めるFWの投入が筋。ベンチに佐藤(広島)や石川(FC東京)がいたらと思いました。コンディションの整わない本田・岡崎を先発させたのも疑問。前半は守備重視で後半に勝負する展開でも良かったのでは。チームの建直しには、監督のマネジメントの他、ピッチ上の精神的支柱、流れを変えられる存在が必要です。個人的には遠藤にその役回りを担って欲しいのですが、どうも本田が自他ともに認めるピッチ上の指揮官になりそうです。確かに、はずせば大変なバッシングの標的になりかねない最後のPK(写真)を、ボールを抱えたまま誰にも譲る気配がなかった強靭な精神力は、リーダーの資質十分。ただ、イチかバチかのど真ん中シュートには危うさを感じます。キックスピードで勝負する為にどうしても力が入り、枠をはずすリスクも高まるわけですから。結果的に本田に救われたザッケローニとしては、「チームホンダ」の刷り込みが一層強くなったと思います。今後は、更に本田への依存が強まることでしょう。本田が本戦までの1年間で冷静さとしたたかさを如何に身に着けていくかに、ザックジャパンの命運がかかっているといっても過言ではないかもしれません。
2013年5月25日土曜日
色彩を持たない「つくる」
「1Q84 Book3」から丸3年。村上春樹作品は、読後、時が経つにつれ、徐々に結晶が生成され、ある日突然、思いもよらぬ造形に驚かされたりする楽しさがあります。ただ、「1Q84」だけは、教団「さきがけ」の教祖への嫌悪感が思考や感性にぴったりと蓋をして、どこにも行けないもどかしさを感じていました。そんな想いの中でのこの新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。今回はぴったりとはまってしまいました。「喪失」「孤独」「デタッチメント」「コミットメント」「啓示」「預言」「救済」「回復」「巡礼」。村上ワールドのキーワードが幾何学模様のように整然と並べられたこの作品は、ハルキストにとって、とても心地良く、身を委ね易いものでした。「シロ」はノルウェイの森の「直子」であり、「沙羅」は「レイコ」そのものではないか。それは、デジャヴというより、失われた恋人たちとの邂逅でした。新作は、「ノルウェイの森」の輪廻した姿であり、純化された結晶なのかもしれません。
それにしても、「何故、舞台が名古屋なのか?」素朴な疑問です。村上春樹は「名古屋は日本のガラパゴス」と称していたはずです。その特異な文化を必ずしも好意的には捉えていなかったと思います。舞台は、ストーリー展開からして地方の都市でなければなりません。神戸ではいけなかったのか、仙台ではいけなかったのか、長崎ではいけなかったのか。5人の高校生グループのうち「つくる」だけが東京に出ていきます。4人が地元に残り、地元でそれぞれの人生を歩みます。そして、ある日突然「つくる」はグループからの追放を宣告されます。それは、まさに楽園追放です。しかし、その楽園は、土地ではなく、仲間を意味します。この文脈から、舞台は、大学や産業において様々な選択肢を内包する自己完結的な都市で、特異性を持ちながらも、それ自体「楽園」ではあってはいけない一種無機質性を有する都市でなければならないわけです。なるほど、名古屋です。
村上春樹の作品のタイトルは、いずれも極めて暗示的且つ象徴的に作品を凝縮しているのですが、この作品の長いタイトルは、この作品のあらすじそのものでもあります。色彩(=自我、ポジショニング)を持たないことへの不安と苛立ち。青春時代の極彩色の彩りが否応もなくくすんでいかざるをえない生きるということ。逆に生を蝕んでいく色彩。それゆえの「つくる」という営み。「損なわれた」ものを辿り、再建していく為の巡礼の旅。
「失われたもの」「損なわれたもの」を取り戻すことは出来ません。「つくる」ことでしか先には進めません。
2013年5月6日月曜日
沈まぬ太陽 ‐ 祝!長嶋茂雄国民栄誉賞受賞
「4番サード長嶋」30年振りのアナウンスに胸が熱くなりました。TVにかじりついて長嶋の一挙手一投足に心躍らせ、銭湯では3番の下足札を奪い合い、雨でナイターが中止になった日には、溜息ばかり出て、宿題も手につかなかったあの頃。高度成長期の日本は長嶋とともにあり、長嶋は昭和の人々の生活と完全に同期していました。長嶋は太陽そのものであり。そのまばゆいばかりの光に勇気づけられ、そのほとばしる熱に活力を得て、みんながひたむきに生きていたあの頃でした。国民栄誉賞受賞は当然といえば当然であり、遅きに失した感があります。そんなヒーローも2004年に脳梗塞で倒れた後は、右半身の麻痺と言語障害の後遺症が残り、表舞台からは遠ざかっていました。授賞式でも、右手は終始ズボンのポケットに収められたままでしたし、始球式ではバットに添えることも出来ませんでした。右足を引きずるようにして歩む姿にはさすがにかつての躍動感はありませんでしたが、すっと背筋が伸びた打席での立ち姿には紛れもなくスーパースター長嶋のオーラが漂っていました。そして、左手1本で空振りした後の悔しがる表情はやっぱりミスター。沈まぬ太陽がそこにありました。大観客の前でスピーチを行い、バットスイングを出来るまでに回復した裏には、文字通り血のにじむようなリハビリを通じての壮絶な後遺症との闘いがあったとのことです。(脳梗塞で倒れた直後は、もう立つことも話すことも出来ないと医師に診断されていたそうです。)我らがヒーロー長嶋は、汗をほとばしらせて、まだ戦っている。そして、我々を励まし続けている。
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